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頭の中の仮想音楽館

「500マイル」

最近「藤原さくら」さんが歌っている「500マイル」という曲をよく耳にします。
 

私にとっては懐かしい曲だし、今でも時々ギターで歌ったりもしている曲。
 

(それにしても・・・いつの間に日本語の歌詞が作られたのだろう・・・)

と思って聴いていました。
 

何とも気持ちに沁みわたってくる歌詞・・・巧い訳詞!と思って聴いていた訳ですが。

誰がこの日本語の詩を書いたのか気になって調べると・・・
 

巧い訳だ!というか、私の感性に響く訳だと納得!

何と「忌野清志郎」さんだったのですねぇ。
 

以前記事の何処かで書いた様な気がしますが・・・

私は、高校時代にフォーク・バンドを組んでいた時期がありました。
 

正式なモノではなく、好きに集まったグループというだけの話ですが・・・
 

ひょんな事から文化祭では体育館のステージで歌ったりもしました。

一部屋を預けられて集まって来た人達とみんなで歌ったりもしていました。
 

その時に歌っていた当時流行っていたフォークソング中の1曲に「500マイル」がありました。
 

その頃には日本語の歌詞は無かった様な気はするのですが。
 

結局は原語で歌ったので、英語の歌詞を覚えるのに必死だった事を記憶しています。
 

この曲、当時はフォーク・シンガーやフォーク・グループは誰でもみんな歌っていた様な気がします。
 

曲のタイトルは、「500マイルも離れて」というのが一般と記憶しています。
 

ソロでは「ジョーン・バエズ」
 


 

グループでは

「PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)」


 

「ブラザーズ・フォー」


 

「キングストン・トリオ」


 

それぞれ、独特の味があって、甲乙付け難い・・・という意味だったのか、どのレコードも売れていた様です。
 

私達が歌った時も、女の子に助っ人を頼んだ時には「PPM」風、頼めなくて野郎だけで歌った時には「ブラザーズ・フォー」風のハーモニーを真似たりしていました。
 

そして、最近「藤原さくら」さんが歌っているのを聴いていて、当時の歌い方と雰囲気が当時と違うなと感じたのです・・・
 

いかにもフォークソング!という感じから、シンガーソングライター風の歌に微妙に変化している様な・・・
 

「佐野さくら」とあるのはドラマの中で演じている女の子の名前です。


 

調べている内に「松たか子」さんも歌っているのを知りました。


 

透き通った歌声で清々しい!と唸ってしまいます。
 

が・・・二人とも「忌野清志郎」の訳詞で歌っている事が、当時の歌と違う雰囲気の原因の様だと思い当たりました。
 

そして、今回「忌野清志郎」本人が歌っている動画を発見、聞き惚れているところです。


 

CDでは「Sings soul ballad」というアルバムに収録されていました。

彼と細野晴臣・坂本冬美がメンバーの「HIS」というユニット名での収録です。
 

CDの方はバックのアレンジが全く違っていて、個人的には上記のライブ動画の方が好きなのですが。
 

因に、「500マイル」はボーナストラックとして「RCサクセション」時代に英語で歌っていたバージョンも収録されています。
 

彼は今迄にも敢えて日本語の訳詞のカバーで色々歌っていました。
 

原曲の解釈から独特の言葉で紡ぎだされた曲が、歌い方も、声も唯一無二「忌野清志郎」の世界として表現されています。
 

どのアレンジや訳詞も原曲よりも素晴らしく、完全に彼の歌として生まれ変わって聴こえます。

その辺の事は「大好きな人達4〜忌野清志郎〜」でも記していましたが・・・
 

それが・・・今迄、彼の歌った「500マイル」を聴いた事が無かったというのは大失策の思いです。
 

元々、切ない歌である訳だが、彼の歌で聴くと・・・泣けてしまいます・・・

  • 2016.05.26 Thursday
  • 10:00

頭の中の独り言

欠伸注意報

年を重ねると身体の事で注意事項が多くなる。

塩分の事やコレステロール、運動不足などなど。
 

その中で、可成り特殊な事だとは思うのだが・・・

大アクビをしない様に心掛けている。
 

訳は・・・話には聞いた事はあっても、お笑いや芝居の世界だと思っていたのに・・・

40代の頃に、先輩が実際に顎が外れたという話があったから。
 

出勤時間を過ぎても連絡が無く心配していたら、昼近くになって現れた。

普通に元気な様子だったが、話を聞くと、連絡が出来ない訳が判った。
 

奥さんは丁度出かけていた朝の出来事だったらしい。
 

朝、眠たさ半分で目を覚まし、おもむろに欠伸をしたそうな。

「そしたらよ、バコって音がしたっけ・・・」
 

開けた口が元に戻らなくなったという。

正真正銘、「顎が外れた」という話だった。
 

その痛さは半端なモノでは無かったと云う。
 

痛くて、涙がボロボロ出て、鼻水がジュルジュル出て、ヨダレがダラダラだったそう。

「タクシー呼ぼうと思ったけど、恰好悪いべ?」
 

・・・確かに・・・
 

イヤイヤ、行き先を告げられる筈も無く・・・と言うよりも、何より電話もかけられないという話だし。
 

結局、自分で運転して病院へ行ったそうだが・・・

「痛くてよ、涙で前が全然見えなくてよ」という可成り危ない運転だったとか。
 

事故を起こさなくて良かった!・・・

という心配は、対向車に乗っている人に向けられる。
 

ふと、向かいの車の運転手を見ると、ダラダラとヨダレの大口を開けて泣いている・・・

スクリームか?ゾンビか?とハンドルきってしまうってば!という心配だ。
 

他人の不幸をこうして笑うなどは不謹慎極まりないとは思う。

思うが・・・可笑しい。想い出してもまだ可笑しい。
 

その話を聞いた時にも、本人には申し訳ないと思い乍ら、それこそ涙を流して笑い転げた。

「そんな、笑うなってぇお前ら、ホントに痛かったんだぞ!」
 

そうは言いつつも、話が受けた事が嬉しかったのか、更に面白く語っていた。

「鏡見たらよぅ、情けない顔でよ、おっかしいし、笑ったら痛いし・・・」
 

大口を開けて笑い転げる私達に「でっかい口開けて笑ってたら顎外れるぞ」とか。
 

実際に顔を見た訳では無いが、想像だけで十分可笑しい。

病院で元に戻して貰ったら痛みは嘘の様に消えたという話だった。
 

解決したのだし、本人も面白く語っていたので、こうして書いても不謹慎ではなさそうな気も。
 

その話は私が40代の頃の話だったが、消耗してきている身体を実感する年齢になると・・・

欠伸の途中でその話が頭をかすめて「アウっ」と口を閉じてしまう。
 

最後に・・・想像力豊かな方は笑い過ぎで顎が外れる危険性があります。ご注意を。
 

注意義務を怠ったと、何でも訴えられる世の中になったものですからねぇ。

アレ?先に書かないと無効だったのかな??

  • 2016.05.21 Saturday
  • 14:03

頭の中の独り言

Michoacan de Ocampo

Michoacan de Ocampo
 

って、知っている人はどのくらい居るのだろう・・・
 

「ミチョアカン デ オカンポ」というメキシコの州だそうです。

私は全く知らなかった。
 

何故この知らない州の名前を書き出したかと言うと・・・
 

最近になってホーム・ページのアクセス解析ツールを使用し始めた事は以前に記したのですが。

「ワシントン」だの「カリフォルニア」などに混じってこの名前が何度か登場しています。
 

再訪という事なので、同じ方とは思うのですが・・・
 

色々想像したりするのです。
 

日本人なのだろうか?
 

ホームページは殆どが自分の描いた絵が主体なので、言葉は其れ程重要ではないかも知れない。
 

日本人だとして・・・年賀状の絵は郷愁を感じるのかも知れない。

現地の人だとしたなら・・・辰年の龍の絵などに異国情緒を感じたりするのだろうか?
 

解析を始めて間もないので、もっと以前から訪問していてくれたのかも知れない。

何か、外国で自分の絵が見られていると思うと不思議な気がします。
 

これで、「身が引き締まる思いで、以後、一層の精進を・・・」

などと思えば私も好い人なのでしょうが・・・好い加減な人でしかなさそうです。
 

でも、お陰で、私もその州の事を調べたりして勉強になりました。

メキシコ32州の内で特に人気の高い観光地なのだそうです。
 

世界遺産の歴史地区の風景写真はスペインを思わせる様な素敵な所の様です。
 

知らなかった人はこれを機に調べてみるのも一興かと。
・・・知らなかったのは私だけ?の可能性もある訳ですが・・・
 

冒頭の英語表記をコピペで検索すると色々な画像が見られるかと思います。
 

解析の効用はこういうところにあるのかも知れない。
 

何よりも、「お題」が浮かばない私にとって、こうして記事にする切っ掛けを提供して貰ったのは有り難い。
 

名も知らぬ、見知らぬ土地「ミチョアカン」の方、「有り難う御座います」というところですね。

  • 2016.05.17 Tuesday
  • 15:31

頭の中の独り言

二重の歓び

本日ピアノ(クラビノーバ)復活ーッ!
 

修理依頼を決心するまで時間がかかり・・・

思い立った時にはGWの最中・・・
 

結局GW明けに連絡して今日に至った。

その間、ずっと、スイッチを入れずに弾いていた。
 

パタパタという鍵盤の音だけ・・・でも、指の練習にはなるかと。

正しく弾けているか否かは、定かではなかったのだが。
 

そして、修理の人がやってきて・・・
 

今回も私の特性が存分に発揮された!!

サポセンにしても、出張修理にしても、課題の解決だけでは済ませない、という特性。
 

「終わってからでイイんですけど、MIDIの事質問させて貰って好いですか?」

「修理専門なので、MIDIは詳しくないんですが・・・」

「そうですかぁ、残念」
 

修理の説明や、雑談を交わし乍らの作業が終了。
 

それで終わった筈が・・・

「どんな事ですか?一応判る事なら伺いますが」と言ってくれた。
 

パソコンへMIDI接続は出来た事。

ただ、音はパソコン側のスピーカーになってしまう事。
 

を説明し、「出来れば、クラビノーバのスピーカーで音声出力したいんですが・・・」

以前にもトライした事、その後いろいろ調べたが結局解決出来なかった話を加えて説明する。
 

最初は「出力端子しか見当たらないのでMIDIで送って、それを受けて・・・は無理の様ですねぇ」

そう言っていたが、暫くすると「AUXの端子が在るので、パソコンのイヤホンと接続したらどうでしょう?」と思いついた様子。
 

「理屈では出来ると?」と訊くと

「そうですね、その筈です。」
 

その内、持って来たバッグの中を色々探って「あ・・・残念、実際に試してみたかったんですけどねぇ・・・」と言い、件のコードを持ち合わせてない様子だった。
 

「両端がミニジャックになっているコードが在ったら実験出来ます?」

「そうですね・・・在りますか?」
 

「我が家はですねぇ、コード類は殆ど在る筈ですから」と言い乍ら、すぐに見つけ出した。

言われた手順で接続する。
 

大成功!!・・・じゃなかった、半成功!という結果。

クラビノーバ本体の音源も一緒に鳴って音が混ざってしまう。
 

「それは設定で消す事が出来て」と、その方法を手順を示し乍ら詳しく教えてくれた。
 

ずーっと、(何とかできないのかなぁ?)と思っていた問題・・・

修理依頼の内容と全く関係無い話なのに、親身になって親切丁寧に解決して戴きました。
 

ともあれ、音域の無い鍵盤の音からやっと音色を楽しむ事が出来る様になった。

あとは、不具合の在った鍵盤の辺りで指が竦むという後遺症が残っていなければ良いのだが・・・
 

と危惧する以前に、音楽として成立する腕前にならなくちゃ!が1番の問題であった。

  • 2016.05.12 Thursday
  • 14:31

頭の中の独り言

頭脳迷堰・痴性と狂幼

何を隠そう私は・・・
 

・・・と書き出して、「あれ?隠すモノなんて有ったっけ?」との疑問。
 

書き出した以上(何か隠せそうなもの探さねば!)と重箱の隅を突っつく。
 

ーコレは?ー (擦ったけど・・・違うと思う)

ーソレは?ー (遠くなったんじゃね?)

ーアレは?ー (ないわー)
 

う・・・ん、確かに何も無いかー。
 

♪〜探し物は何ですかぁ〜見つけにくいものですか〜♪

(中略)

♪〜まだまだ探す気ですか〜それより私(僕)と踊りませんか〜♪
 

いきなり歌われてもネェ・・・ハテ・・・

♪〜ダンスはうまく踊れない〜♪
 

(けれども)♪〜問題は、今日の雨、傘が無い〜♪
 

(なので)♪〜私の心は雨模様〜♪
 

って、何で「井上陽水」で遊んでるんだろ??

探しまわっている内に、「何を隠して」までも「何を語りたかった」かまで忘れちゃった。
 

痴性と狂幼が邪魔している様です。

改めて書き直しましょう。
 

こう見えても私・・・

アレ?そもそも他の人にはどう見えるんだ?という話か。
 

若者言葉に迎合する様な今日のチャラい文章。

ディスられそう・・・
 

「こう見える」のは、ただのチャラいオジさん・・・
 

スミマセン、見栄張っていた!・・・ただのチャラいオジイさん。
 

文章には気を配っていた筈なのに。
 

病院の待ち時間、週刊誌を読んだりしています。

気に入ってよく読むのは作家「伊集院静」氏の「悩むが花:大人の人生相談」
 

取り敢えず、他人の人生相談なんて興味は無い。

が、相談内容よりも、氏の回答が痛快で面白い。
 

その中で多く見かけるのが、相談の文章に対する言葉遣いへの嗜(たしな)め。
 

結構、流行の言葉を多用して相談しているイイ歳をした大人も多い。

その場合、内容より先にバッサリと本人が切り捨てられる。
 

「そんな日本語を使っているアナタの程度が!」

「少なくても年上の人に対する言葉遣いがなってない!」などなど。
 

総じて ーそんな言葉を平気で使っている人の悩みなど深刻になんて感じないー

そんな風に言っている様に感じてしまう。
 

同年齢くらいの伊集院氏に相談したら玄関口で怒鳴られてしまいそう・・・

私も、繊細で美しい日本語は守りたいと思っているのだけど。
 

TPOさえ弁えてれば良い訳なのだが。

という事で、個人のブログ、何でもアリの好き放題。
 

こう見えても私・・・67歳と書き出そうとしたら・・・

「どう見たって67歳ですが、なにか?」と鏡が即答。
 

他の人の目にどう映るなんて考えない事にした方が良さそう。
 

それにしても、最初に何を書こうと思ったんだろ?

う・・・・・ん、その辺も年相応だったか。
 

****************************
 

本当は4日ほど前、雨の日に書いていたオフザケの文章・・・
 

前回の記事は「ゲシュタルト崩壊」だったが、今回は「人格崩壊」の様相・・・

今日、読み返してみると「馬鹿の極み爺や」
 

う・・・・・ん、アチャラカパー。
 

でも、よくない、コレ? コレ、よくない?

よくなく なくなく なく・・・・・・どっちだべ??

  • 2016.05.08 Sunday
  • 13:00

頭の中の独り言

映画と原作本

GWという事もあって色々映画の宣伝がテレビで流れている。

その中で「世界から猫が消えたなら」という映画の、まず、タイトルに興味を持った。
 

興味を持ったのなら原作本を読んでみよう!

・・・という事で本を買って読んだ。
 

あれ?予想と違っておふざけ?

と思い乍ら、それでも違う意味で「面白い!」と読み始め・・・あっという間に読み終えた。
 

映画はまだ公開されていないし、本を読んでいない人の為にストーリーには触れない。
 

「面白かった!」というのが読後感。
 

おふざけ?と思った最初の印象も、そういうプロットで良かったとの思いが。

そうでないと重いテーマを孕んでいるし、暗いストーリーになってしまいそうな。
 

読み進めていく内に、突きつけられる色々なシチュエーションに(深い!)と感じさせられた。
 

帯には、作家の角田光代さんが「小説だが、これはむしろ哲学書なのではないかと思えてくる」

と抜粋の書評が載っていた。
 

私の受けた印象も同じで、(自分だったら?)という選択を考えたり、主人公が選んだ選択肢の結末に(成る程・・・こんな出来事になってしまうかぁ)と色々考えさせられる事の多い本だった。
 

便利ー不便、必要ー不必要、執着と諦観・・・逆説的な価値観・・・

考えるにつけ、いつの間にか「ゲシュタルト崩壊」に誘われてしまう。
 

映画化・・・ねえ。
 

どんな風に描かれるのだろう・・・という興味はある。

(描ききれるのか?)という疑問が勝っているのだが・・・
 

多くは映画は原作を超えられないというのが自分の印象なのだから。

なので、(映画は映画で別物と考え)と割り切ってしまうとそれなりに楽しむ事は出来る。
 

映画は監督なり脚本家なり演出家なりが原作から読み取り、感じ取った1個人の想いを描いたという事で、読み取る感性が同じなんて事は在り得ないのだから、読者と同じ映像になる事など在り得ない。
 

映画化されると、彼はどう捉えたのだろう?と他人の頭を覗く楽しみも在ったりする訳だが。
 

それ故に、映画がこんなに面白いのだから原作は遥かに面白いに違いないと、後で本を買ったりする事もあったりする。
 

本当は例によって「May Day」という特定の日のタイトルを晒した侭でおかない為の記事だった。

テーマがなかなか思いつかないで書き出せずにいた筈が、書き始めると今度は無駄に長い文章・・・
 

身構えたりせずに思いついた事を先ず書き始めると何とか・・・・ならなかったなぁ、今迄も。

  • 2016.05.02 Monday
  • 13:05

頭の中の独り言

May Day

今日の雲・・・

子供に「雲の絵を描いてごらん?」と言ったなら、(殆どこう描くのでは?)という雲を浮かべた空。
 

札幌は昨日迄の天候が嘘の様な、のどかな、のどかな風情です。


 

そんな5月のこの日は・・・
 

自分の想い出にあるこの日は、風になびいていた沢山の赤い旗が揺れている風景。

ずっと炭坑街で育ったので「メーデー」の光景は鮮烈に記憶に残っている。
 

ハチマキを巻いた大勢の大人達が、腕を突き上げてのシュプレヒコール。

各地の労働組合の会員や家族が一堂に会して一斉に雄叫びを上げる。
 

教えられた訳でもないのに、いつしか意味も判らず耳に残っていたメーデーの歌。

「聴け万国の労働者ー、轟き渡るメーデーのー」の合唱が広場や会場に響き渡っていた。
 

幼い時から何度も目にしたその光景は、時ともに薄れ、今ではテレビでしか見る事がなくなった。
 

私を取り巻いていた炭坑そのものの衰退(つまりは、併せて「労働組合」の解散)や、他の企業でも時代の流れに分散されていった労働者の意識に「団結」なる言葉も薄れてしまったのかも知れない。
 

私自身は「労働組合」などの組織に組みしていた訳ではないので、直に肌で感じていた訳では無いのだが・・・

子供の頃には炭坑街という地域がそうさせたのか、その熱さは肌で感じていた様な気がする。
 

「5月病」が囁かれる時期でもあって、新入社員などには重い月の始まりでもありそうな。
 

「メーデー」がMay Dayなのだと知ったのは何時の頃だったろう・・・
 

その「メーデー」が「May Day、May Day!」の遭難信号と同じだと知ったのは随分後になってからだと思う。
 

騒然としていた記憶の「May Day」5月の初日、でも、う・・・ん、今日は何と、のどかなんだろ。

  • 2016.05.01 Sunday
  • 12:03

頭の中の独り言

怯えの音に

思えば・・・幼い頃から「音」に対して異常な恐怖心があった。
 

「トラウマ」として?・・・どんなトラウマだったろう?
 

無理してこじつけたとしたら汽車の音かも?と思い当たりそうな。

所謂、SLー蒸気機関車ーの汽笛。
 

今の若い人は映画とかでしか判らないだろうと思うが・・・

それはそれはもの凄い音と記憶している。(私だけ?)でもあるが・・・
 

そのもの凄い音が・・・
 

跨線橋を渡っている最中に足下で「ボー!!」

ホームで待っている時に反対側で発車する汽車がいきなり「ボー!!」
 

足が竦んで機関車には近寄りたく無いのに親に手をひかれ・・・

それが厭で大抵は両耳を塞いで後から付いて行ったものだった。
 

男のクセに・・・臆病者・・・のレッテルがペッタリと貼られた。
 

それでいて、鳴る時が判ると平気なのは不思議なのだが・・・

機関車の近くだと運転手が警笛を鳴らす紐を引っ張る瞬間が見えたりする。
 

敢えて態々近づき、その一瞬を確かめようと運転手を睨みつけていたものだった。
 

炭坑に居た時も発破(ダイナマイト)の轟音は苦手だったが、毎日の事、何時しか馴れた様だった。でも、最初の頃は、係員の手元を見ていて、スイッチを入れる瞬間を見ていたりしていたのだが。
 

全く予期していない時の突然の轟音は、周囲の人がどんなに吃驚しても意外と平気だったりもする。
 

只、静かだなぁ・・・などと、無音という音を意識している時には電話が鳴った位でも飛び上がったりするという訝しな性質。
 

その内に鳴るかも知れないという状況に異常な恐怖心が沸き上がる様なのです。

必ず埋まっている事は判っている地雷原を歩くような恐怖心みたいなものなのです。
 

そんな臆病さなものだから、娘が小さい時には可哀想な思いをかけた事も多かった。

喜んで風船を振り回す娘の傍には近寄らなかったり。
 

「風船、膨らませてぇ?」とせがまれた時には遺書を書いて挑んだ・・・訳は無いが、冷や汗モンだったのは確かでした。
 

花火なんか必ず遺書を書いて・・・・

父親なのだから!と決心して付き合いはしたものの、何時の頃からか見透かされていた様です。
 

風船も、花火も他の人に頼んだりしていたのだから。
 

何故こんな切り出しかと云うと・・・
 

一月前くらいからピアノ(クラビノーバ)の調子が訝しくなってしまった。

「A」の音、つまりは「ラ」の音に怯えているのです。
 

タッチ・コントロールの弾く強さでピアニッシモからフォルテッシモまで一応コントロール出来る仕様になっている。
 

ヘッドホンをかけて弾くので音量のスライダーは3分の一くらいに設定。

思いっきりのフォルテシモでも耳を圧迫する様な大きな音量にはならない。
 

・・・筈が、突然「A」の鍵盤だけ数倍の音量で鳴る時がある。

ヘッドホンなので耳の中で「バーン!」と破裂したような音!
 

それがその「A」鍵盤を弾いた時に必ず、という訳では無く、忘れた頃に起こるのです。
 

何度かそんな事が繰り返される内に「A」の鍵盤の付近を弾こうとすると反射的に・・・足は竦まないが指が竦んでしまう。
 

「黒ひげゲーム」の様なワクワク感・・・じゃなかった、ドキドキ感!
 

普通、ピアノ弾くのに怯えたりしないでしょ、と思う訳です。

携帯電話なら机に直接置いたりするとバイブの振動音で吃驚!なんて事はよくあるが・・・
 

(それは2、3度の体験で懲りて今では必ず下がクッションになる物の上に置く様になりました。)
 

静か〜に、ピアニッシモで・・・と指の力を抜いて優しく弾いたつもりが「バーン!」

硬直したまま(ないわー)とか思ってしまうのです。
 

ヘッドホンが原因とも考えられたのでコード抜いて試したが同じだった。

ならば・・・と電源コードを抜いてリセットしてみた。
 

(おー、直った!)と暫くは大丈夫だったのです。
 

最初の内はヘッドホンを半分くらいずらして恐る恐るだったのだが・・・

軈て、大丈夫に馴れきって、安心して弾いていたら突然「バーン!」
 

流石に修理が必要と、購入店に連絡して状況を説明し目安の見積もりを訊ねてみた。
 

結果は「2〜3万円」プラス出張費が4千円近くが予想されるとか・・・

怯え乍ら弾いているよりは安心して弾きたい訳だが、高価過ぎる安心代・・・
 

他人に聴かせる事など考えられず、自分が楽しむ事だけが目的のピアノ・・・

臆病でさえなければ(まっ、そのくらい気にしない)で済む話だった様な。

  • 2016.04.29 Friday
  • 14:03

頭の中の独り言

本当の偽善者は?

前回の記事を投稿する時に、本当は少し逡巡していた。
 

熊本県の災害が連日放送されている時だったから・・・
 

でも、私ごときのブログが何の影響を及ぼす事も無い訳で、と居直って投稿。
 

このところ、芸能人の様々なSNSなどで炎上していると聞く。
 

義援金を送ったり、励ましの企画等も発表されている中に・・・

「売名だ」「偽善だ」果ては「こんな時に笑顔の写真をアップして!」などなど。
 

判らないのは、したり顔で批難をしているだけの者は何か援助してるんだろか?と想う。

百歩譲って、有名人が売名や偽善だとしても何の弊害があるのだろう?
 

何であろうと援助を受けた側は実際に助かるのに、狭量な自称だけの正義感もどきの批難に因って「自分も偽善者と想われるのでは?」と善行を躊躇う人が出たら、その方が弊害な筈。
 

その批難こそが偽善なのでは?アナタこそが偽善者なのでは?と言いたくなる。
 

ある芸能人は売名だ偽善だという非難に対して「そうです、偽善で売名です、アナタもそうしませんか?」と応えたとか。
 

「善意でするんならSNSで発表しないで黙って寄付しろよ」という意見もあるとか・・・

そうかなぁ?それによって触発される人だって居るかも知れない。
 

特にファンだったりすると「私も!」同調して寄付したりという事も有り得る。

ならば、黙って寄付するよりも効果があるのだから、良い事だと私は想う。

同調しての寄付なら善意とは言えない、と批難している人なら考えそうだが・・・
問題は被災した人の助けになるか否かと考えれば、善意であろうが単なる同調であろうが結果オーライの事なのだし。
 

どうしても「売名、偽善」の臭いを感じ取る人は黙って勝手にそう思っていると良い。

捻くれた批難の書き込みは弊害でしかないと想うのだが・・・
 

加えて、すぐに「自粛」だの、「こんな時に」だのという風潮も気味が悪い。
 

問題は烏合の衆がどう感じるかでは無く、被害に遭った人達がどう感じるかなのだと想う。

みんなして暗い顔しているのがその人達の励ましになるとでも想うのだろうか?
 

歌だったり、スポーツだったり、今回の様に漫画だったりと、少しでも笑顔に近づけるイヴェントも必要なのではないのだろうか。
 

勿論「ちょうど良いタイミングだった」などと言った政治家の発言は論外で、この言葉には何も良い要素が含まれていないし、全く愚かな発言で腹立たしく、批難されて当たり前だが。
 

普段は政治的な事や世の中の出来事にはあまり触れない様にしてきた。
 

私の発言の影響を考えて・・・なんて訳はある筈も無く・・・

一つの事柄に対する受け取り方、考え方は千差万別だと想うから。
 

それに、一般的な受け取り方・・・というのも判断がつかない。
 

以前に「伊奈かっぺい」さんのトークに拍手喝采をした事があった。

色々な語録の中で「親の七光りの何が悪い、一光も無い親よりも」という一節。
 

一般的には子供が頑張っても「親の七光りだから」と個人としてみて上げない風潮があったりする。
 

そんな中で公然と「何だよ。どうせ親の七光りで売れたくせに」と見下していた世のお父さん達、ひと光も無い我が身を曝け出されて狼狽えた筈・・・想像すると可笑しかった。
 

意外だったのは、誹謗や中傷が錯綜するので辟易していたこのネット社会・・・と感じていたのだが「フエィスブック」の活躍があった様子。
 

避難所から「何が不足している」とか「何名くらい避難している」などという貴重な情報が発せられていたという事だ。
 

「Twitter」や「LINE」などの匿名性が高い情報はデマも含み信用性に欠けると想われるが、「Facebook」は実名登録という事で情報は或る程度信憑性が高くなるのだと想う。
 

と言っても私自身はどれも登録してはいないので想像でしか無い訳だが。
 

今回は成る程ね、これが理想的なSNSの在り方だよね・・・と見直した。
 

何れにしても、追い打ちをかける様な雨や風、何よりも続く余震が一時も早く無くなる様に祈るばかりです。

  • 2016.04.22 Friday
  • 13:09

頭の中の独り言

ワクワクの終焉

記事で何度も取り上げた「アメリカン・アイドル」が15年の歴史に幕を閉じた・・・
 

私が見始めたのはシーズン8からだったのだが。

(日本での放映はシーズン7からという事だった)
 

シーズン1の優勝者「ケリー・クラークソン」を始め「キャリー・アンダーウッド」「ファンテイジア」

優勝者ではないが後にグラミー賞受賞の「ジェニファー・ハドソン」などなど傑出したスターを生み出していたモンスター番組だった。
 

私としては、シーズン中に1押ししていての優勝に歓喜した「キャンディス・クラバー」や「ケイレブ・ジョンソン」
 

1押しだったのに準優勝という結果に『アメリカのバカヤロー!』と叫んでしまった「アダム・ランバート」「クリスタル・バワーソックス」が大好きで、その後もCDをチェックしている。
 

Best10くらいで消えていった人達の中にも、(多分、優勝は無理だろうな・・・でも、出来るだけ長く残って欲しい)と思った個性的な「ナイーマ」「ジョーイ」「M・K」など、今でも時々歌声が聴きたくて録画したDVDを引っ張りだす人達が居る。
 

今回で言えば「ジェン・ブロッセル」が前記の「ジョーイ」と似た個性的な歌声でもっと残って欲しかったのだが・・・
 

個性的という事は一般的ではないという事なので、審査員審査から一般投票に移ると不利になってしまう。

その辺りが(優勝は無理だろうけど・・・)と想ってしまう所以。
 

今回の結果は・・・まだ観ていない人も居るかも知れないので名前は書かないが、私としては優勝を信じていた人が準優勝という結果で終わってしまった。
 

ただ、他のシーズンの様に(嘘だろ?)という事でもなくて、満足は出来ないが或る意味、納得は出来るのだが。
 

シーズン10では優勝候補と信じていた「ピア・トスカーノ」が9位で脱落・・・
 

「アメリカ人には耳が無いのか!」と怒り狂ったが、番組とは直接関係の無い朝のテレビで小倉智昭さんも激怒していたので少しはうっぷんが晴らせた・・・なんて事もあった。
 

今回は最終シーズンという事で卒業生達がステージを盛り上げていたが、その「ピア」の歌声を聴く事が出来た。
 

優勝者は勿論、専属契約を結ぶのでプロとしての道は開けたのだが、途中脱落の人でもプロデューサーなどの目に止まった人はプロとして活躍している。
 

過去のシーズン中に自分のお気に入りだった人達がプロとして活躍している様子で、そんな懐かしい人達の姿を見る事が出来たのは嬉しい。
 

前述の「アダム・ランバート」は今回のゲスト出演は無かったのが残念だが、時々「クイーン」のボーカリストとして、ツアーに参加したりと大活躍。
 

同じく前述の「クリスタル・バワーソックス」も今回来ていなかったのが残念だったが、CDを出している。

吃驚したのは「ボディ・オブ・プルーフ」というドラマの第二シーズン2話目で役者としてゲスト出演していた!など、色々活躍している様子なのが嬉しい。
 

あとは、卒業生達の活躍はCDのチャートや「YouTube」で軌跡を追うしかなくなってしまった訳だが・・・

興味のある人は「YouTube」の検索欄に「アメリカン・アイドル」と打ち込むと色々アップされています。
 

妻や、東京に居る娘とも優勝者を予想したり、お気に入りを語ったりという楽しみが終わってしまった。
 

番組放映中はDVDに録画する為、CMを抜く編集作業に追われて忙しい思いもしたが、それも終ったと思うと喪失感と言うか、脱力感というか、寂しい気分になってしまう。
 

そして・・・終わってしまった今、言える事は・・・沢山の感動を有り難うアメリカ!

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  • 2016.04.20 Wednesday
  • 10:32