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頭の中の独り言

春うらら

北海道の春は迎えに行かないと中々出向いてくれません。

 

迎えに帯同するのはスコップとツルハシ。

 

このところ、春へのおもてなし準備で、代わる代わる柄を持ち替えています。

見回すと、同じ様にあちらこちらで氷を砕いたり雪山を崩したりする人達。

 

直ぐ傍を通り抜ける車は路上の水溜りを飛び散らかさない様に最徐行。

作業をしている人達も車が来る度に飛沫をかけられない様に一旦退避。

 

毎年恒例の風景、北の風物詩です。

 

子供の頃は迎えに行かなくとも自然に春を感じていた記憶。

遊んでいる最中に「来ましたよー」と声をかけてくれた様な。

 

雪をかきわけて沢を下りると福寿草を発見したり

雪解けの水溜りの周りに草花の新芽を発見したり

 

それは子供だったからなのか、田舎だったからなのか・・・

 

「春の曲とは?」のお題を見かけて、つらつら考えている内にこんな書き出しに。

 

因に私が最初に頭に浮かんだのは「もすぐ春ですね〜」のフレーズでした。

キャンディズの歌ですね。

 

好きだからか?と問われると・・・条件反射という感じではありますが。

世代によって、卒業ソングだったり旅立ちの歌だったりするのでしょう

 

ビバルディの「四季」から『春』も思い浮かんだりしました。

が・・・それぞれ『夏・秋・冬』もある訳で、オール・シーズンか・・・と。

 

(確か、以前、自分が春を感じる歌を羅列した事があったような・・・)

調べてみると「〜春の散歩路〜」のタイトルで書いていた記事がありました。

 

4年くらい前だったんですね。

 

その後、1度見直してみるとリンクが切れていて、殆どが聴く事が出来ない状態でした。

なので、リンクの貼り直しをした覚えも・・・

 

今回、また調べてみると数曲が切れていて・・・

貼り直した訳ですが。

 

矢っ張り、フレンチポップスと呼ばれた一連の曲は春を感じます。

自分が聴きたいが故の貼り直しって事ではあります。

 

フランス語のポップな歌は春に聴きたくなり

フランス語のシャンソンは秋に聴きたくなります。

 

中でも、ジェーン・パーキンの「Di Doo Dah」は心が弾み、春そのもの。

 

ただ・・・最後の「シュガー・ミー」

何で付け足したのか?・・・妙にあざとい感じがする。

 

多分、長年探していた好きな曲を、その時に発見したのでどさくさに紛れて・・・って事だったのかな?

 

「春」というテーマに馴染んでいないと思うんだけど・・・

何故だったかは・・・う・・・ん、国会答弁では無いけど「記憶にございません」

 

このフレーズ、最近、国会や百条委員会の中継を見たりすると耳にする機会が多いのですが・・・

この歳になると「おー、仲間が沢山居るではないか!」と勇気を貰える様な気がします。

 

うららですねぇ、春ですねぇ

  • 2017.03.20 Monday
  • 15:55

頭の中の独り言

我が輩は・・・ピアノ編。

前回綴っていた「我が輩も猫である」は結局買って読んでいる。

が・・・それはさておき、途中になっていた記事を仕上げてしまう事にした。

 

書いていた記事は次の行から。

 

我が輩はピアノである 名前は有るのか無いのか判らない。

この家に着いた時に「電子ピアノ」という文字を見た様な気はする。

 

外国の様に名前が先で名字が後?・・・すると、ハーフなのかな?とも考えたが・・・

 

更には電子というのだから女性なのだろうと思った訳だが(デンシ)と呼ぶそうだからこれは名前では無い様だ。

 

デン子なんてやだなと思った訳だが、時々「クラビノーバ」などという名で呼ばれるのも何かくすぐったい。

 

でも、通常は「ピアノ」という風に言ってるので、どれも個人名ではなさそうだ。

 

主人は1日に1度は必ず相手にしてくれるが、隣人への配慮と、ヘッドフォンをつけて弾いている。

我が輩が思うに、配慮とは表向きで、下手な演奏を聴かれたくないというのが本当のところであろう。

 

たまーに奥さんが出かけている時に弾きたくなると、ヘッドフォンを外してスピーカーで小さく鳴らしている時もあるが、それには訳がある。

 

片耳が聞こえないのでヘッドホンをしているとチャイムや電話の音が聞こえないからだそうだ。

普段でも片耳にしか充てがわないが、反対の耳が聞こえないから、結局両耳を塞いだのと同じ理屈になってしまう。

 

言わせてもらえば、たまに違う曲を奏でて欲しいと思うのだが、おさらいの曲ばかり・・・

主人の指にタコは出来てないのに、我が輩の耳にはタコが出来ている。

 

昨年あたりは「Happy・Birthday」に毎日付き合わされた。

密かに呟かせて貰うと、アドリブ部分を完璧に弾きこなせた事は1度も無い。

 

第一、そもそもアドリブというのは即興演奏であって、譜面におこされたものをそのまま弾くのはアドリブと言えるのか?というのが疑問に思うところだ。

 

スイングのリズムも辿々しく、リズム感が欠如しているのは一目瞭然、いや、1聴瞭然というべきか。

 

その事では、内蔵のメトロノームが嘆いていた。

「絶対音感」を持っている人は外れた音を聴くと具合が悪くなると聞き及ぶのだが・・・

 

そういう事で言うと「絶対リズム感」を心髄としているところのメトロノーム君!

ご主人の演奏が始まると目眩がするので耳を塞いで死んだフリをし続けているのだとか。

 

なのに、たま〜に起こされて付き合わされる事もあって、その後は「フリ」などではなく1週間は死んでいる。

 

1度たりとも正しいテンポで弾いた事は無いそうだが「ここだけの話」と言われているので主人には秘密にしている。

 

他にも、楽譜を読む時に、どうして最初から指番号を同時に覚えようとしないのか・・・・不思議だ。

これは新しい楽譜に挑戦する度に必ず同じ事を繰り返しているからだ。

 

或る程度ソラで弾けるくらいに暗記し始めてからようやく指番号を確かめる。

 

無論、(自信を持って言い切れるほど無論!)何カ所も間違っている。

慌てた様子で指を変えるのだが、癖になっているのでおいそれとは訂正出来ない。

 

正しい指使いの方がスムーズに流れるという事は認識している様だ。

 

じゃー何故最初からやらない!?とも思うが、最初の内は音譜を読むだけで一杯一杯みたいなので、少し気の毒ではある。

 

気の毒と言えば・・・(笑ってしまうのだが)ご主人の小指と薬指の中が良過ぎるのもお気の毒。

中指と小指で白鍵を押した状態だと薬指が殆ど離れたがらない。

 

鍵盤以外でも小指を曲げると、薬指が必ず付き合っておじぎをする。

 

全部が白鍵の場合だと、ま・ま、上げて弾く事も出来るが、薬指が黒鍵を弾く事になった場合は・・・

黒鍵は白鍵よりも高い位置に在る、と言う事で、悲惨な結果が待っているのである。

 

その事を除けばこの指達、よく頑張っていると感心する。

 

そそもそも、我が輩に言わせれば本人は暗譜したつもりでいるのであろうが、それは違う!

暗譜しているのは指達だ。

 

何度も何度も同じフレーズを弾かされるものだから指達が身体で覚えてしまっている。

だから、途中で指使いを変えると指達は途端に不満のブーイング。

 

脳が覚えていたのなら指使いを変えたとて、旋律は変わらないので弾ける筈。

肝心の脳が覚えていないから指が慌てまくる構図になっている。

 

何よりも・・・ご主人、覚えが悪い! 悪過ぎる!!

毎日弾いている筈なのに、進歩はこの1週間でたった1小節。

 

それも、進んだのかと言うと、毎回同じ箇所で楽譜を読み直している始末。

 

若しかして、耳の奴が嘘を吹き込んでいるのかも知れない。

ご主人様の大好きな「たま」も「♪〜耳が時々嘘をつく〜♪」と歌っていたし。

 

楽譜を読むのが遅すぎるから、耳で覚えた旋律を頼りにするという事が弊害なのかも知れない。

 

ペダルについても基礎から取り組んで貰いたいものだと何時も思っている。

素人ほどペダルを多用するものだが・・・正確でないと音が濁って騒音にしか聞こえないのである。

 

主人もそう感じているのか、たま〜にペダルを気にする事もある。

 

が・・・踏み込んでボーンと響かせるところで、半端に足を上げるものだから、どうなるか・・・

「ボーン」が「ボ」とか、「ポッ」とか「ペッ」って、「斉藤さんか?」とツッコミを入れたくなるというものだ。

 

本当に不器用な人ではある。

 

でも、まあ、色々悪口を並べたが・・・好きだと言う想いは伝わっている。

独学なのによく頑張っているとも思う。

 

本当は、器用であったら、とっくに他人に聴かせる腕前に成っている筈とも思うが。

 

聴かせる事を目的にしている訳では無いし、弾く事が楽しいという事であれば、メチャメチャ楽しんでいる様子。

 

弾けなくても癇癪を起こして我が輩に当たるという気配も無く、一層楽し気になったりするのは少々不気味ではあるが。

 

以前、隣に置いてあるMacでブログを書いているのを覗き見した事がある。

確か・・・「判らないや、出来ないが楽しい」みたいな事を書き込んでいた様だった。

 

腹を立てて乱暴に「グワーン!」と叩かれるのは勿論迷惑な事である。

が、腹を立てて「クッソー!」と思う様な根性を持って欲しいものだとも思う。

 

感性が鈍いのかもしれない。

 

時々、ミスしても気付かない様だが、本当はミスの音を気付かない程小さくしてあげる我が輩のサービスである。

 

でも、そんな時に「おお!完璧に弾けた!」と単純に喜んでいるから、感性が鈍いというのも結構幸せな事なのかも知れない。

 

我が輩以外には迷惑をかけている訳では無いし、「ピアノを弾いている時が一番楽しい」というのは確かみたいなので、我が輩は溜まったストレスをこうしてたまに吐き出して、長く付き合ってやろうかと思っているところである。

 

本当は、少し呟いてみようかな?と思っていたのに思わぬ長文!

我が輩のストレスが如何に溜まっていたのか、という証でもあったか・・・

 

あ〜〜〜〜、スッキリしたぁぁぁ!!

  • 2017.03.14 Tuesday
  • 10:40

頭の中の独り言

我が輩は・・・

暫く前に、書店で「没後100年、生誕150年」と謳った「夏目漱石」のコーナーを見かけた。

その時から「我が輩も猫である」が気になっている。

 

作家8名による「猫」アンソロージー文庫本。

 

本家の「吾輩は猫である」は若い頃に読んだ。

が・・・最近また気になってiPhoneのSky Bookにダウンロードして布団で読んでたりする。

 

思うに、誰でも1度はパロディめいて創作したりしなかっただろうか?

創作などという大仰なものではなくても・・・

 

(我が輩は○○である)と対象を擬人化して、自分や家族、或は友達や知人を観察した文章を思い浮かべたりと。

 

私も(「も」なのか「は」なのかは判らないが・・・)若い頃につけていた日記ではよくその手法で綴ったりしていた。

 

主観的に心情を吐露するよりも、客観を装って傍目から事態を描く方が面白可笑しく、デフォルメもし易い。

只、その分、素の侭にはならない・・・という事もあったりはするが。

 

私の場合は殆ど自虐的な表現になってしまう。

 

途中まで書いていた「我が輩はピアノである」も、ご多分に漏れずで自虐的に自分を茶化しまくっていた。

前後してしまうが・・・その記事は後日投稿という事にした。

 

何故なら、その記事を書き乍ら、(でも、どうなのだろう・・・、大抵の人が自虐的になるのでは?)

 

そう考えた時から、頭の散歩路に迷い込んでしまっている。

 

例えば・・・女性に「お題は『我が輩は鏡である』という事で随筆の様に綴ってみて?」とペンを渡したとする。

 

鏡に語らせる自分の姿を本人はどう描くだろうか?

 

「鏡の私には世界中探してもこんなに美しい人は居ないと感じ、只々見惚れている」なんて事、書くかな?

余程の自信家でもなければ・・・ナイ と、思う。

 

容姿に全く自信の無い人だと有り得るが、逆説的に皮肉を含めた自虐という事になる。

 

想像し易いのは、矢張り茶化した様な描き方な訳で・・・

 

「ご主人様は今日も寝坊したらしく、ボサボサの髪を『あ、イテテテ』とか言い乍らブラシを罵っている」とか。

 

「ご主人様は変顔が得意らしく目ん玉をひんむいて睫毛を付けたり、口紅を塗った後は口をんぱーんぱー右寄せ左寄せ、突然ぐわっと大口を開けて・・・」とか

 

自分しか知らない姿を、茶化したりしないだろうか?

 

終いには「この毎日の凄い形相を、他の所でもやっているのではないか?と心配になる」と鏡に気遣わせてしまったりとか。

 

勿論、擬人化したモノに言わせるのは自虐的とばかりは限らない訳だが・・・

 

デートみたいな事では「鏡」に言わせた方が照れも隠せて、自身に対する想いを表現出来たりするかも知れない。

 

「ドキドキする」とか「ワクワクする」という直接的な表現よりも

 

「ご主人様は、何時もと違って随分緊張している様子。鼻歌まじりに髪を梳いたかと思うと、溜め息で私を曇らせてしまったりと落ち着かない・・・大丈夫、可愛いよ。帰ってきた時に笑顔だといいな」とか応援も出来たり。

 

私の場合は、ま・・・完璧に自虐しかない。

 

他のモノにしたって・・・

 

「我が輩は福沢諭吉である。この家にはとんとエンが無い」とか

 

「我が輩は財布である。折角訪れてくれた野口英世君と仲良くなれそうかと思うと、次の日には旅に出るので顔も覚えきれない」とか

 

「我が輩はブログである。ご主人ときたら・・・」これはもう、のっけから攻撃態勢だし。

 

と、記事の途中でこんな愚にもつかない事で頭の中を散策していた。

 

でも、コレは良い手法だなぁー、幾らでも書けそうな気がする。

とか言いつつ・・・先ずは途中に成っている記事の続きを書いてしまわねば!

  • 2017.03.08 Wednesday
  • 10:24

頭の中の独り言

冬溶け予感。

降り積もった雪をスコップを持って除雪。

 

次の日は溶けて溜まった水を排水溝に導く溝作りの為に氷割り。

 

スコップとツルハシを日替わりで握り変えていた此の頃。

 

一進一退ではあるけど、雪は氷に変わり、氷は水に変わって。

雪山も確実に背が低くなっている。

 

雪の白さで清潔なイメージの北海道。

これからは泥色の雪壁に挟まれて泥水だらけの車が走り回る季節。

 

昨年のこの時期は「本の時」だった。

気がつけば矢張り同じ事になっている。

 

前回の記事の「しんせかい」を読んだ後も、古い本を取り出して再読したりしていた。

 

西加奈子さんの「サラバ」が気になっていたのに新作「I」が出でしまって・・・

うん、「I」を買おうかな・・・と思ってTSUTAYAへ行った。

 

生憎、品切れの様で、先日見かけた時に買うと良かったか・・・と、少し残念気分。

ならば、何か自分を呼ぶ本でも探してみようか?

 

ぼんやり目で眺めまわしていると、文庫の棚で呼びかけている本が目に入った。

 

伊坂幸太郎原作の映画は殆ど観て居た筈なのに・・・

何故か小説は読んだ事が無かった。

 

最初に観た「ゴールデン・スランバー」が面白くて、彼の原作の映画は次々に観ていた。

 

只、映画の場合は監督の思い入れや、感性などの解釈で描かれる訳で。

(まずは、1冊くらい自分の捉え方で読んでみようかな?)

 

その1冊が今、半分くらい迄読み進んでいる「首折り男の協奏曲」

映画で受けた世界観が展開されてる。

 

今度も亦、最後に一気に繋がるだろう手法に期待しつつ楽しんでいる。

クエンティン・タランティーノの様な、オタクっぽい小さな拘りや蘊蓄を挟んでいるのも面白い。

 

本当は一気に読めそうで、その方が良いだろうと思いつつも、章毎に閉じて反芻したりして。

 

(溜まっていた水は流れたかなー?)と、ツルハシ片手に続きの氷割り。

春告げの水音が耳に響く心地良さを感じた後、部屋へ戻り、さて、次の章を読もうかな?

 

おっと、その前に・・・

 

3月最初の記事、投稿ーっ。

  • 2017.03.02 Thursday
  • 13:18

頭の中の独り言

立ち話の効用

「『しんせかい』読んだんですか?」と訊かれた。

 

「読みましたよ」

「どうでした?」

 

一通りの感想を述べて、「私にとっては、という事ですけどね」と答えた。

 

ここ3年続けて「芥川賞」小説を読んでいる。

昨年の芥川賞「コンビニ人間」を貸してあげたからの質問かも知れない。

 

まだ読み終えていないという事で、「急がないので、ゆっくり読んでください」と言ってある。

 

週に1、2度、朝の散歩の時に出会ったら、お喋りする近所の奥さんとの会話。

会うと2、30分は道路で立ち話という事になる。

 

普通はご近所さんとの会話と言うと、「天気がどうの」、「ニュースがどうの」というのが普通だと思う。

 

二人の会話は「アール・ヌーボーがどうの」、「ツルゲーネフがどうの」と非日常的な、而も路上で立ち話という内容でもない様な・・・

 

1番最初の話す切っ掛けが何だったかは忘れてしまった。

多分、音楽の事だった様な気も・・・

 

最近でもこういう事があった。

 

以前に「クラシック?よく聴きますよ」という風に話していたので、或る程度詳しいという風に思っているのだと思う。

 

「CMで聴いて、気になってるんですけど・・・」とハミングで旋律を口ずさむ。

「『新世界より』ですね、第4楽章です」

 

「作曲は誰ですか?」

「『ドヴォルザーク』です。因に、第2楽章は小学校で唱歌として習ってませんでした?」

 

「・・・・どんな旋律ですか?」

今度は私が口ずさみ「♪遠き山に日は落ちて〜♪・・・あとは歌詞は覚えていなくて、題名も忘れましたけど」

 

「あ、聴いた事あります!それも『新世界より』だったんですね」

(後で調べると曲名は「家路」だった)

 

それ以前にも音楽界の話題の事では結構盛り上がったりもしていた。

 

「ボブ・ディラン、授賞式に出ると思います?」

「出ないでしょうね」

 

「でも、ノーベル賞ですよ」

「出ないでしょうね」

 

結局、面目躍如!

 

「今度のグラミー賞、誰が穫ると思います?」

『アデルです」

 

「言い切るんですか?」

「言い切ります」

 

結局、アデルが穫って面目躍如。

 

路上でのこんな二人の遣り取りは面白い光景だろうと思う。

傍らを通り過ぎる通勤途中の人にはどんな風に映るんだろ?

 

最初の頃は殆ど「BEATLES」に関する質問だった。

次々に口ずさみ、「ヒアー・ゼアー・アンド・エブリホエアー」「ノーリプライ」などと次々答える。

 

昔は其れ程興味が無かったと言っていたが・・・

「どんどん好きになってきました!」と言い、BEATLES関係の記事やスカパー放送などはチェックしまくっているという事だった。

 

「リンゴって、本名じゃなかったんですね、多分・・・・知ってますよね?」

「リチャード・スターキーですね、因みに何故リンゴって名乗ったかはご存知?」

 

折角優位に立てそうな情報を披露出来るかもしれない機会が打ち砕かれた・・・

而も「訳はですね」と、新たな情報を上塗り解説されてしまった・・・

 

「・・・今度からBEATLES博士ってお呼びします」は悔しさ故か?完全降伏の意思表示か?

 

軈て、曲はクラシックやジャズにも及び・・・

絵の話、本の話、映画の話などと広がっったりしているので話題には事欠かない。

 

先方のもっぱらの情報源はBSやスカパーの様で「今度ポールが来日しますね」と教えてくれたりもする。

 

只、パソコンは持っていないそうで、気になっても調べようは無い訳で。

デッキを持っているのならCDを貸して上げられたりもするのだが、それも持っていないと言う事だった。

 

なので、気になった事をメモして、私に合った時に質問するという風な事になっていたりする。

 

あまり生産的な話でもないし・・・

実利的でも無く、単に趣味的な話だし・・・

 

「だいたひかる」さんなら「♪ど〜でもイイですよ〜♪」とオチをつけそうな。

 

ただ、この「どうでもイイ」空間を漂うというのも、生活の匂いがしないので心地良い様な気がする。

 

私は他人との会話は苦手だったりするのだけど、最初からテーマが判っていて、而も自分の得意範疇なのだから楽に話せたりしている訳だし。

 

先方も、世間話や家庭の話みたいな生々しい話題では無く、まるで学生時代に友達と話していた様な雰囲気の話題を楽しんでいる様子。

 

「こうやって、色々話しているだけでストレスが発散された様で、また頑張ろう!という気になります」との事。

 

うん、お役にたっているわけですね。

 

そう言えば、昔は「歩く音楽情報機」と呼ばれるくらい重宝されていた。

今はネットで何でも自分で調べて答えが得られる時代。

 

過去の遺物・・・みたいに必要とされていなくなってきた事を肌で感じていた訳だけど・・・

まだ、現役でいけるかも、自分。

 

2月、最後に綴るネタをさがしていて・・・こんな記事になったという訳でした。

  • 2017.02.28 Tuesday
  • 11:32

頭の中の仮想音楽館

遥かなる夜想曲

久し振りにショパンの「ノクターンop.9−2」を少し先まで進めてみようかと思った。

覚えているという事だけでもまだ、1ページを終えていない。

 

先ずは覚えていた弾き方が合っているかどうか・・・クラビノーバのデモ演奏を聴いてみた。

(6小節目のトリルが今迄自分が弾いていた響きと違う・・・)

 

気になったので、このトリルの弾き方は?と、ネットで調べてみました。

 

のっけから間違っていた!

 

6小節目と思っていたら、1音から始まる最初の小節は「アウフタクト」と呼ぶそうで、小節としてはカウントされないのだとか・・・

 

つまりは私が疑問に思っていたのは5小節目という事だった。

(知らなかった・・・・)

 

その上「トリル」と思っていた記号は「プラルトリラー」と呼ばれる記号だそうな。

その言葉すら(知らなかった・・・・・)

 

私が今迄弾いていた弾き方だと1音多い・・・

でも、ずっとそう弾いていたので癖になってしまっている。

 

癖にしてしまったから・・・なかなか直らない・・・

 

(少し先まで進める)という思惑は、進めるどころか、途中のやり直しに終始する始末。

 

うろ覚えで進めていたしっぺ返し!という体裁になってしまった。

 

多分に、昔よく聴いていた「愛情物語」という映画のサウンド・トラックが影響していた事があるかも知れない。

 

以前、タイトル「想い出の喫茶店」で取り上げていた「カーメン・キャバレロ」のジャズ・アレンジの演奏。

「To Love Again」という曲名でした。

 

「想い出の喫茶店」を見直してみると、ストリングスがメインのバージョンだった。

今回はピアノソロとストリングス・バージョンの二つが収められている動画を発見したので紹介です。

 

 

ヒットしていたシングル盤のレコードではストリングス・バージョンだった様な記憶ですが・・・

 

私はサウンド・トラックのLPアルバムを持っていたので、当時よく聴いていたし、気に入っていたのはソロのバージョンでした。

 

以前、リンクさせた時にも探したのだけど、シングル盤バージョンしかアップされていなかったので仕方無く、という事だった様な気もしています。

 

記号の事などは、独学なので仕方無いとは思うけど、本当は「基本中の基本でしょ?」という気にも・・・

 

そう言えば、高校時代にギター片手に歌っていたら、同級生に「好い歌だね、覚えたいから楽譜見せてくれない?」と言われて見せて上げた事がある。

 

私が耳で覚えた歌をギターで歌い始めると、彼は一緒に譜を読み乍ら口ずさみ・・・

「あれ?そこ、本当はそうやって歌うの?」と遮った。

 

「え?違う?」私は何度もレコードを聴いて覚えていた曲だけど、楽譜は読めない。

(なのに楽譜を持っていた訳はギター・コードを見る為だった)

 

彼は初めての曲だけど、初見が出来た。

 

私が「タン・タン」と歌っていた箇所は(楽譜が正しいとしたら)「タ・ターンじゃない?」と言う。

その日、家に帰ってレコードを聴き直した。

 

次の朝、学校で彼に「有り難う、確かにそう歌ってた」とお礼を言ったものの・・・

(これが、楽譜を読めるという事か!)と、すっかり萎縮してしまった。

 

その時に萎縮した気持ちを(悔しい)という思いに変えていたら、初見に挑戦していたかも知れない。

ところが当時のこの私、唯々(凄いなー!)と感心するだけの能天気さだったんですねぇ。

 

当時のこの私・・・・と書いたけど、ずっとその侭で、この今日って事でも、かな?

  • 2017.02.17 Friday
  • 12:10

頭の中の独り言

完成!の後始末

「完食ーっ!」・・・って、あ・これは違うか。

4日程前、遂に取り敢えずの目的は果たす事が出来ました。

 

本当は、文章毎にもう少し見直した方が良いかな?とは思いつつ・・・

先ずは、進めてしまおう!と最後迄一気に手直し。

 

後は、実際にブログで確認して、気になったらその都度直そうかと。

 

悩んでいた期間が長かったから、「燃え尽き症候群」の暇も無かったけど。

悩んでいた期間が長かったからこそ、目的達成してからは改めて発症の予感。

 

案の定・・・このところは(な〜に、するべーかぁ〜)とボンヤリ。

 

課題に取り組んでいた最中には(そんな暇無いってば!)と思いつつも、息抜きゲームが楽しかったが・・・

 

一日中ゲームしてても良いという状況になると・・・楽しくない。

 

(やってしまわなくちゃ)と思う事は無かっただろうか?

無いなぁ・・・

 

(やった方が良いんじゃ?)と仕向ける事は無いだろうか?

思いつかないなぁ・・・

 

そう言えば・・・やりかけで止めた侭が沢山。

若い頃からのを含めると、(沢やま)どころか(森やま)

 

毎年、年賀状を描いていた時に、最後の一押しが思い浮かばない為に途中で止めた絵が必ずある。

年毎にDVDにそれらの絵や、下書きなども含めて保存している訳だが・・・

 

年賀状を書き始める時に、大抵一通り眺めたりします。

その度に(あ、ここまで描いていたのなら、後で仕上げてみようかな?)と思う絵があったり。

 

下書きの段階で出来上がりは想像が付いていて(こうなる筈)とおもいきや・・・

技術力の欠如で思い浮かべた絵に辿り着かなく、(いずれ試してみよう)と思ってたり。

 

・・・のに、年賀状を出し終えると、すっかり忘れてしまったり。

 

動画も作りかけで半端になってるし。

曲も最後迄打ち込んでないし。

 

少し、その辺りを見直して仕上げてみようかな?

 

・・・と、思ったら、(プログラムの記述を奇麗にする筈じゃなかったんだっけ?)と、心の声。

 

そうだった。

「台所の整理はおいおいに」と書いていたっけ!

 

「燃え尽き症候群」などと黄昏れている場合じゃなかったんだー。

 

先ずはそれを先に済ませなくちゃでした。

  • 2017.02.11 Saturday
  • 13:03

頭の中の独り言

目標達成の兆し。

ずっと、考えて、考えて、考えてて・・・

またもやハタと思い当たった諺。

 

「『馬鹿』の考え休むに似たり」

 

・・・って事はずっと休んでいた訳かぁ。

・・・って事は馬鹿だっていう証拠かぁ。

 

ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと続いていたホームページ修正の記事。

やっと、打ち止めになりそうです。

 

遂に残りのカテゴリーも修正の方法が判りました。

 

冒頭部分の経緯から、(何とかせねばならない!)と、またもや「いまいさん」にSOS!のメールを出しちゃった訳です。

 

本当は今度こそ自分で何とかしたくて、考えて、考えて・・・ZZZZZZ。

いや、寝ちゃーいませんでしたが、休みと同じなので変わらない・・・

 

どっちみち、今回も亦、私の能力では幾ら考えても解決出来ない問題だった訳です。

 

それにしても、要因はこういう事かな?みたいな文章もありましたが・・・

問題解決の方法記述は僅か2行!

 

それで、あっという間の解決って・・・・カッケー!

感謝、感激、雨、よだれ!

 

まだ、ソフトで試している段階ですが、もう毎回同じ様な記事は書かなくて済みそうです。

 

今考えると、誰も私のホームページの記述を読み通した人って居ないんじゃないかな?と思われます。

 

このブログの様に2行続いて、空白みたいな事も無く、ページの端から端まで文字で埋め尽くされている様は生命保険の約款が思い浮かぶ程・・・絶対読みたくない!

 

私なら、文字だらけのページを目にした途端、他のサイトへ飛びますね。

 

それにしても、5年近くも前のものなので、今更直しても仕方が無い・・・

という思いもありましたが・・・

 

それが、そういう事でも無く、ネットに置いておく限りは初めての訪問という人が居るのも事実。

相変わらず数人の単位ではあるにしても訪問者数ゼロではないみたいです。

 

その中で結構、新規率も高く、「tokyo」や「Aichi」など日本各地に混じって「Washington」「California」などグローバルだったりするので驚きます。

 

或る意味、逆に1度訪問した人には「こんな読みにくいサイト、2度と来るもんか!」という事でもありそうな・・・・

 

外国の人も訪れているという事は「ニホン、レベル、ヒックー!」とか、国の威信を貶めていたかも。

 

などと・・・色々な妄想が交錯したりする訳です。

 

ともあれ、漠然としていたものの、やっとの事で2月中という目標は達せられそうな予感。

 

リップ・ヴァン・ウィンクル、ようやく目覚めたって事かな?

  • 2017.02.06 Monday
  • 14:42

頭の中の独り言

丸ごと、自分向け。

最初から、追加文!(追加?の意味は途中で記していますが・・・)

 

「今回も全く個人的で日記的な記事なので、読んでも本人以外には何のメリットも無いと思われます」

 

よしっと、最初に注意書きを済ませた。

 

それでも読み進み、あまりの退屈さに居眠りをしてしまい、着けっぱなしのガス台の上で、ヤカンが空になり火事になっても、当局は一切関知しない。

 

さて、書き始めていた記事に戻るとしよう。

 

本当は1月中に!を目指していて・・・

後半、何とかなりそうな手応えで進めて・・・

 

ガッピーン!結果は突然の足踏み・・・

 

ずっと綴っていた「ホームページ」のカテゴリー、6個分の行間修正の件。

 

最初の1つが出来た時点で次っ、次っと、3つまでは手直し出来た訳だが・・・

4番目に手こずっている最中。

 

最近、使用頻度に連れて少しは判ってきた「Dreamweaver」というソフト。

それで見た限りは、4番目と5番目は難儀しそうと予想がついた。

 

が、予想はさせてくれたものの、示すだけなので解決には至らない。

自分で読み解くしかない・・・。

 

セレクターの優先順位や、使用方が理解出来ていない、という事が原因だろう、というところまでは判るが・・・

これも、原因は予想出来ても方法が判らねば解決には至らない・・・

 

それでも、その予想のお陰で、6番目は何とか成りそうだという事が予感出来たのは有り難い。

(1〜3は同じCSSを使用していて、6番目も同じだったから)

 

じゃ、先に6番目を先にやっつけてしまって、あとでゆっくり考えようか?

いやいや、順番に進めてきたのだから、解決するまで取り組むべきだ!

 

と揺れつつ、(ここは一先ず気持ちを落ち着けて)と「ソリティア」や「バックギャモン」などゲームに興じていたりする日々。

落ち着いた気持ちは気分良くピアノへ向かう。

 

う・・・ん、2月中に解決できるのかな・・・

 

と、ここまで書いて、帰ってきたら記事投稿のつもりで散歩・・・・・・(あれ?ひらめきー!!)

行き詰まった時にはこのパターンが多い。

 

直ぐに部屋へ戻って4番目のカテゴリーを「Dreamweaver」で試してみると・・・(おお!出来た!!)・・・筈。

筈・・・というのは、FTPソフトで実際にやってみないと判らないので・・・

 

メモに整理して、後で別荘の「Windows」へ行こうかと思う。

・・・と、気分良くして、(じゃー、序でに5番目も同じ図式で出来る筈なので、ちょっと試してみようかな?)

 

ガッピーン!出来ない!!・・・って事は理解したと思ったのは勘違い?

試さないで、気分良いまま4番目に取りかかれば良かった・・・

 

1月半ばからこんな記事ばかりで申し訳ない気もしている・・・

(と謝っても、ここまでは誰も読んでいないか、焼け死んでいるかだけど)

 

興味の無い人は(何の事やら)の内容が続いているのは確かだ。

殆どが自分の為の日記となっている訳で。

 

なので、今回は例の如く、冒頭に断りの文章を書き加えておく事にした。

 

或る意味、こうした日記もどきが自分を触発させてくれたり、奮起に繋がったりもする。

1年前、2年前、3年前・・・と同じ様な事での苦労話が載っていて、参考になったりもしている。

 

ただ・・・今回着手した行間の問題は毎年書いていたのに解決出来ていなかった。

解決しようとしていなかったというのが正しい、というのが過去の記述で見て取れる。

 

最初から、(もう覚えていない筈だ)とか(今更ソースを見たって判る筈が無い)がブレーキに成っていた様だ。

確かに「いまいさん」の助力が無かったらストップしていたのだから当たってはいるのだが・・・

 

でも、思っていたより忘れていなかったし、思っていたよりは判る事が出来た様だ。

それに連れてプログラムの記述が汚い・・・・という事も判ってしまったけど・・・

 

散らかった台所で作っても、整理された台所で作っても、出来上がった料理が同じであれば・・・?

今回は料理を作るのが先決で・・・台所の整理は、まっ、おいおいと言うところで。

 

ここで、「オイ、オイ!」と言うツッコミが入る筈ではある。

奇麗な記述を心掛けている人には、許せない所業な筈だから。

 

来年の今頃、多分見るであろう筈のこの記事・・・

「まだ、捨てたもんじゃなかったよ」という励みになると良いけど。

  • 2017.02.03 Friday
  • 11:22

頭の中の仮想音楽館

「EIGHT DAYS A WEEK」

我が青春のアイドル「BEATLES」

 

「エイト・デイズ・ア・ウイーク」という映画が公開されたという話を聞いたのはつい最近の様な気がしていました。

 

それがもうDVD化されていて吃驚!

大分前になりますが、レンタル店で見かけてその時に早速借りました。

 

ビデオテープの時代から色々見ていたが、ドキュメンタリーで使われる映像は殆どが画質が悪かったのですが、この映画の映像は想像よりも奇麗な画質だったのが嬉しかった。

 

(この手の映画は光テレビでの放映も意外と早い・・・放映された時には録画しよう!)

そう思い、ならば、その時に慌てない様にラベルを検索して備えておこう。

 

と思って調べてみたのは良いけれど・・・

誰も作っていない!

 

さすれば、自作!と作ってみました。

 

(※ 画像クリックで拡大します)

 

Beatlesの事は殆ど知っているつもりでいましたが、この映画で新たに知った事も色々。

 

例えば、アメリカ公演の時のドキュメンタリー。

 

(そうかぁ、アメリカってこの時代もまだ、白人と有色人種は座る席からトイレの果て迄、差別的に分けられていた時代だったんだぁ・・・)とか。

 

アメリカのそういう差別を始めて知ったのは、1956年に公開された映画「ジャイアンツ」に因ってだった。

「ジェームズ・ディーン」主演の名作です。

 

それは映画でのシーンだったのだが、ドキュメンタリーで描かれると生々しい・・・

 

そういう名残のある時代のアメリカで、「観客を差別して扱うのなら演奏を拒否する」と交渉していたイギリスの4人の若者。

 

音楽は勿論だが、矢っ張り凄い奴らだったんだ!と、改めて実感させられました。

 

流れで、持っていた「マイケル・ジャクソン」の『This is it』を続けて観たりして。

久し振りに観た訳ですが、彼も最後まで地球温暖化や動物達の絶滅を危惧して行動していました。

 

今のアメリカ・・・というより、トランプという個体(選んだのは国民な訳だが・・・)

 

経済の為にと、地球温暖化阻止の運動を無視どころか、温暖化が進む方向へ転換。

自国の為だけしか考えず、差別的な排他主義への方向転換。

 

苛めを無くそうと努力している人達の苦労を無にする様な、時代に逆行する言動。

力を以て、誹謗・中傷・脅迫を駆使して自分を正当化する事しか考えていない輩。

 

こうして自国の都合しか考えない国ばかりになったら、終末時計はあっという間に1秒前でしょうね。

 

「ジョン・(レノン)」や「マイケル・(ジャクソン)」はこんなアメリカを見ないで済んだ訳だが・・・

生きていたら「それで良いのかアメリカ?」と問うた事だろうな、とも思う訳です。

 

でも、ミュージシャン・アーチスト・メディア・識者などなどの抗議の声も高まってきてもいます。

そういうウネリでアメリカの良心を取り戻して貰いたいな・・・なんて思っていますが・・・

 

悪名高き「治安維持法」名前を変えて復活か?という日本も他国の事は言えませんけどね。

 

今回も可成りの脱線・・・「何言いたいのか訳判らん」って事はトランプと同じだったか・・・

  • 2017.01.31 Tuesday
  • 09:50