本日は3月18日です!
何かの記念日?とか訊かれても困りますが・・・
3月も半分過ぎたのに1度も投稿していなくて、(わー!3月も折り返してしまった!)
ってな事で改めて(そっか・・・3月18日かぁ)と私が思っただけの事なのですけど。
このフレーズ、実は最初9日の日に書いていたんですよ。
「3月・・・既に3分の1になろうとしています・・・」とか。
放っとくと「3月初めての投稿で最後の投稿です、明日から4月です」みたいな事になりかねない。
・・・で、何が書きたいかと言うと・・・・「♪〜答えはNothing〜♪」とか長渕剛の歌ではぐらかしたりして。
3月・・・今まで何していたんだろ?と自分でも思いますもんね。
変わらずに突散らかした好奇心を回収しつつ生息中ではあります。
ところで、昨日、ものぉぉぉっ凄く古いノートを見つけまして・・・
中に、(慌てて書いたのか?)みたいな単語だけをなぐり書いたメモの羅列のページがありまして。
よく電話番号だけをメモって他の情報は何も記してない・・・なんて事がみんな経験あると思う(自分だけ?)のですが。
後で見た時に(この番号って誰のだ?何時のだ?何処のだ?)などと思い出せない事が不安や混乱の原因になったりします。
そんな感じのメモばかりで・・・それが数十年前のメモで・・・って・・・もう殆ど判る気がしない!
と、思っていたら「トム・マリカ」の文字だけでどっと映像が浮かび上がりました。
涙を流して笑い転げ回り最後には腹が痛くて呼吸が出来なくなったほどの強烈な記憶・・・
当時はビデオテープの時代で、テレビで放映された映画などを録画し、テープの最後少し余った部分に気になった番組を録画したりしていたものです。
そんなスペースに録画していた記憶がありますが・・・勿論現在そのビデオテープは手元にはありません。
でも・・・鮮烈に甦った記憶に(観られるものならもう一度観たい!)と。
(ダメ元)と思い、YouTubeの検索窓で「トム・マリカ タバコ」と打ち込んでみたのです。
おー!懐かしの「トム・マリカ」氏! 再会する事が出来ました!!
次々と火のついた煙草を口の中に放りこみ、終始とぼけているのに突然インパクトのある変顔で笑いを誘うマジシャン。
マジシャンというよりはエンターテイナーという感じだったでしょうか。
私としては口へ向けて放り投げた煙草を失敗して受け止められなかった時のリアクションが大好きで(また失敗しないかな?)と変な期待で観ていた事を思い出したりもしていました。
今回、YouTubeにアップされていた動画では失敗していた映像は見つける事が出来ませんでしたが・・・
でも、想像していたよりも沢山の映像を残していた様で、探している内に見つかるかも知れません。
古い映像なのによくぞアップしてくれた!ネットって凄い!と改めて感激しているところです。
禁煙が当たり前の現代ではありえない奇術なんでしょうが、よろしかったら「トム・マリカ」を検索して見てみて下さい。
一人でもこの記事で彼を知り、(或いは思い出し)映像を見て笑い転げてくれたら幸いかと。
この後にも続けて書いてはいたのですが区切りをつけないとまたもや機を逸する恐れあり、ってな事で(続けて書く事が出来ていたら次の機会に)と、先ずは一旦投稿する事にしました。
遅ればせながら・・・三月初投稿でした。
]]>
「双六」で遊んだ記憶は無いとの事でした。
A君の世代で既に「双六」は死語でしたか・・・
想像通りボードゲームとしては「人生ゲーム」や「モノポリー」に置き換えられていた様です。
2024年現在の子供たちはどうなんでしょう?
デジタル化した?など更に複雑になった進化系を思い浮かべてしまうのですが・・・
「双六」自体は歴史が古く、辿れば「メソポタミア文明」まで・・・とかはネットに書いてありましたが。
元祖系に近い「バックギャモン」はパソコンで今でも遊んだりしています。
私の記憶の中で最初の「双六」はクリスマスの朝、目を覚ますと枕元に置いてあったサンタさんの贈り物だった様な・・・
その後は少年雑誌の付録などで、まずは色々な絵が目を惹いたという朧げな記憶もあるので「絵双六」と呼ばれるジャンルだった様です。
マス毎に描かれていた絵は(早く好きな絵のその場所にコマを置きたい)と願ったり、辿り着いた時には折角進む事が出来る目が出ても(ここに止まっていたい)と思わせる程の魅力があったと記憶しています。
キャラクターものが多く・・・と書くと斬新な発想をするのでしょうが昭和も30年位の事です、「セイラームーン」も「雪ミク」も居りません。
御伽話のキャラクターですね、「桃太郎」「浦島太郎」「金太郎」「一寸法師」「かぐや姫」などなど・・・(おっと、「Au」の回し者ではありません!)
冒険物(この言葉使い自体が既に時代っぽい気もしますが)では当時の最新鋭機で夢と一緒に世界を飛び回ります。
・・・と書くと斬新な発想をするのでしょうが超音速「オーバーチュア」機も「ボーイング777−9」も在りません。
ずんぐりむっくりしたプロペラ機でした・・・でも、ワクワクしたんですよ。
ゲームの概要は「ふりだし」から、順に番号が振ってある絵が書いてある丸や四角で区切られたマスを、サイコロの目の数の分だけ進み、止まった場所に書いてある指示に従い乍ら「あがり」を目指すという至ってシンプルな構造です。
曲者は書いてある場所毎に書いてある表記で、これは前回綴っていた様に「ふりだしにもどる」というのが最悪なものでした。
覚えている最初の頃には絵が主体で大きく(それだけ場所を取る訳で)上がりまでの番号はせいぜい15番くらいじゃなかったかな?と記憶しています。
それが最後の方の記憶だと番号も増え、場所によっては「『1』が出たらもう一度振る・『3』が出たら一回休み『5』が出たら・・・」などとその場所で出たサイコロの目によって細かい指示が表記され少し複雑になっていたのではないかと・・・
或いは、番号指定で「『8』へ進む」と書いてあるので嬉々としてコマを進めたものの、その場所には「一回休み」と書いてあるとかいう「束の間の幸せ」の落とし穴が仕掛けられたりもしていました。
今思うに、小さな時から私はアレンジは得意だった様で(貧乏の為せる技とも言うべきか)自作で双六を作って遊んでいた記憶があります。
姑息な私の事、ゴールの「あがり」の場所に「ふりだしへもどる」とか書いていたりして・・・
・・・は、さすがに無かったとは思いますが、でも、今なら絶対作りそうな気がしますねー
或いは「8へ進む」と喜ばせておいて、その場所「8」には「3へ戻る」と記しておき「3」へ戻ると「8へ進む」・・・ふふふ、無限ループ地獄!
あ・・・ポロっと闇がこぼれ出てしまった。
何にしても、サイコロと紙さえあれば遊ぶ事も出来る単純さだからこそ、自分でも工夫して作れたのだと思います。
何故か思い出を綴り乍らも「双六=正月」の風景しか思い浮かばなかったのですが・・・
今回ネットで調べて「双六」「かるた」「凧揚げ」「福笑い」などは伝承の正月遊びとの事でした。
・・・などと想いは懐旧の彼方・・・A君のお陰で幼い頃の「正月」へワープさせて頂きました。
「双六遊びをした事のある人この指と〜まれ!」・・・(振り向けば独り、そして、誰も居なくなっていた)なんでしょうかね?
]]>第一、読めないのかもしれない・・・
見たことも、聞いたことも無ければ「知らない」が当たり前になって死語になってしまうのかも。
あ・・・今は「人生ゲーム」がそれに当たるのかな?
で・・・「人生ゲーム」って「ふりだしに戻る」って言葉あるのかな?
などと漠然と頭を捻ったりしていました。
最初の1行に「振り出しに戻る」と書き始めたものの、(あれ?この言葉って通じるのだろうか?)と考えてしまって。
そもそも、その言葉を使う「双六(スゴロク)」自体を知らない人の方が多いのではなかろうか?
・・・という事で冒頭の1行に置き換えた訳なのですが。
双六ゲームというのは、振ったサイコロの目の数だけ進むゲームで普通は(「6」が出ます様に)と祈り乍らサイコロを転がしたものでした。
・・・が、「6」というサイコロの目の場所に「一回休み」とか「5個戻る」とかの表記があったりする事もあります。
ならば目は少なくても(5個進む)とか書いてあったりする他の場所の方が効率は良い・・・という事でゲーム性が増して一喜一憂。
そのゲームの中で絶対に見たく無いのが「振り出しに戻る」の表記でした。
どんなに「上がり」(今風に言うと「ゴール」)間近まで進んでいてもスタート地点まで戻らなければならないのです。
何故こんな言葉を思いついたのかというと・・・
数日前は両側の雪壁を通って「車道」に出ると、少なくてもその「通り」では歩道も含めて残った氷をツルハシで砕くと雪も氷も完全に無くなった状態になっていたのです。
その後の4日間でまさに「振り出しに戻る」という風な・・・2メートルを越える雪山を積み上げていた訳です。
そうか・・・現代風に言うと春になりかけたが冬に「リセット」されてしまったという風ですかね?
この4日間は毎朝4時半に目覚ましをかけて2時間程せっせ、せっせの道作り。
一通り(通路確保!)と思いきや、向かい側のアパートの屋根からの落雪が通路を(完全封鎖!)
「振り出しに戻る」って事かいな・・・と思いつつ、もう一度道作り。
それが済んだ頃には、その後も振り続ける新たな雪が朝に除雪が終わった箇所を「振り出しに戻る」状態にしてくれて・・・
北国に住んでいるのだから別に文句は無いし、仕方が無いとかは思うにしても、流石に腰が痛い・・・の本音もポロリ。
本日の札幌、冬は「一回休み」の目を出した様子で・・・その間に春が追い越して進んでくれるとイイのだけれど。
4日前にはゴール寸前だった事が余計に今回の「振り出しに戻る」を恨めしく思わせる事になった様です。
]]>「どんだけ普段の素行が悪いんだろネ?」と妻からのツッコミが入ります。
確かに・・・前後はポカポカ陽気だったりしている訳ですから・・・
前日に天気予報で「今晩から明日一杯まで大雪注意報が・・・」
とか聞いてしまうと(出かける前に除雪しなくちゃ)と思うものだから寝られなくなったりします。
当日、朝早く起き出してみると大抵は想像以下ではあるものの(眠られなかった)という事は変わらない訳で。
大抵は病院でボーッとしてたりしています。
さて、前回の記事の最後に「アレンジを目論んでいる」と記していました。
思ってたほど簡単では無かったんですねコレが・・・
発想としては(文字の外側を取り囲むパイプ状の輪に、球体を何個か作って一周させてみようかな?)でした。
結果だけを見ると大体思いついたアレンジは出来た・・・と、勘違いしてしまいます。
・・・が、実態としては函館発:青森行きの計画で、結果的に「函館出発して青森に着いたよー」の話も、実は「函館出発して(稚内周りで)青森に着いたよー」と言ってるくらいの奥行きのある話でした。
やたらにギラギラ光っていて、「光り物好きだねー、カラスか!?」みたいなイメージになってしまいましたが・・・
前回の設定そのままだったので・・・とか言いつつ(確かに光りモノ好きけど)の自覚はあります。
「Blender」の動画投稿が4連続してしまいました。
集中して繰り返す事で甦ってきた記憶をある程度定着させる事が出来るかな?の淡い希望です。
以前、このブログの中で「海馬」の事で綴った事がありました。
要約すると「記憶」は思い出す事で「上位の箱」にランクイン出来て、思い出さずにいるとどんどん「下位の箱」へと沈んでしまう的な内容でした。
全く思い出さずにいると軈ては下位以下の「消滅」行きになってしまう・・・
なので、折角覚えたモノは「復活不可能」に変わる完全消滅前に時々思い出してやって浮かび上がらせてやる必要があると。
それにしては(あれ?昨日使った機能の名前、何だったっけ?)とボロボロの危うさではありますが・・・
何にしても画面上は未来予想図の通りだった訳でアレンジ成功(?)って事で更新!です。
]]>
・・・って、危ない表現でしたか・・・
年齢から察するリアリティーあり過ぎでした。
そういう意味ではなくて(「そういう」とは?の疑問はスルーです)色々夢中になっていたら今日になっていた。
という事で、瞬きするまでの記憶はしっかりしているから何とか大丈夫そうなのではないかと・・・
(言い切れよ!という話で、余計不安を煽る書き方ですが)
本当は動画自体は早くに出来ていてアップしようとしていたのです。
「3D masshiro」さんという方のブレンダー初心者向けのチュートリアルを見乍ら、例によって文字列だけ「NIche」に変えて作成した動画です。
ブログに載せる為には先ずは「YouTube」にアップする必要があります。
それで「YouTube」を開く訳ですが、その段階で「お勧め〜」的な動画が沢山表示されるのです。
(裏ではAIが「この人ったらこんな動画が好きだよねー」とピックアップしているのだと推測されます)
設定をoffにする機能もあるみたいですが、よく判らないので操作していないのでした。
自分の意識としては(さて折角作ったのだからアップしてしまおう)の積もりなんですが・・・
まんまとAIの「お勧め〜」に引っ掛かってしまう訳です。
次の日も次の日も(今日こそアップしてしまうぞ!)から(あ・・・このチュートリアル動画って今回判らなかった事の補足になりそー!)の寄り道を繰り返していたのです。
その寄り道の最中に(レベルが高くて判らない・・・)事があり過ぎて、それをいちいちネットで調べているので瞬きするのを忘れていた訳です。
それで、やっと瞬きをしたら。。。。ってな事で伏線回収のオチをつけようという魂胆ですが・・・成功しましたかね?
結局、不投稿期間の・・・一言で言うと只の「永い言い訳」なのでした。
現在のところ、今回アップした動画にちょっとしたアレンジを加えたいと目論んでいる訳でして、その試作に取り組んでいる最中です。
ただ・・・たったこれだけの動画ですが、解像度(デフォルトでは1920×1080)を半分の(960×540)にしてレンダリングしても小1時間ほど要していました。
更に動きを加えたらどの位時間かかるんだろ?という不安はあるのですけどね。
周りが興味期限継続中の事ばかりなので瞬きする時間が惜しいな・・・と思う今日この頃といったところでした。
]]>
ところが作り直しているうちに操作すべき英表記の意味が知りたくなって調べたり・・・
意味が判ったところで、今度は(打ち込んだ数値を変えたらどうなる?)みたいな実験の方に比重が傾き・・・
果ては興味本位で操作している内に取り消しが出来なくなって、また最初から作り直し・・・てな事を繰り返していました。
画面上に粒子が舞う姿は何度見ても、ずーっと見ていても飽きずに惹き込まれてしまいます。
小さい頃に見たダイアモンドダストがチラチラ、クルクルと回る光景の感動が原風景かも知れません。
感動がぶっ飛んだ先に・・・若い頃に「ミラーボール」に憧れて「天井に飾りたい」と言い出し、周囲の顰蹙をかって諦めた記憶が甦ったりしてました。
ともあれ、そんな光の粒子「パーティクル」の動画・・・前回の訂正版を作り上げたので更新です。
今回は少し太めのフォントに変えてみました。
同じ動画を2画面に分割して上面と正面から眺めてみました。
更には(色を変えたらどうなる?)の実験版です。
取り敢えず、無事スペルのミスを訂正出来たという事に安堵です。
能登半島の地震で幕を開けた2024の1月、今日で終わりです。
私自身、ロシアの侵攻やコロナウィルスの問題などで3年位前からどんどん気が塞ぐのを感じていました。
すると何でもかんでもがつまらなくなり、どんなものでも自分自身に最後に残る印象が「否定」になってしまうという事を痛切に感じていました。
例えばドラマを見ても(面白かったけど、演出が嫌いだった)という風です。
結果が「否定」だと不満が燻って大きな塊になってきて更なる不平を呼び寄せる様な・・・
以前は(演出は好きじゃなかったけど、面白かった)という風な着地に捉えていた様な気がします。
最近はそういう捉え方をする様に自分に仕向けています。
少なくても2024年1月最後のこの日(少しはポジティブに考えられる様になったかな?)という手応えを感じ始めているのは前進かと思っております。
皆様、どんな1月だったでしょうか?
]]>
出来ると思っていなかったし、取り敢えずは完了画面を早く見たくて焦っていたのです。
結果、一番肝心な「NICHE」の文字を「NICHI」にしたままで最後まで行ってしまった・・・
「ニッチ」を名乗ってるんだからいい加減覚えたら?と思いますけど。
以前の動画でも何度も何度も経験している「出来上がってからのやり直し」そろそろ懲りても良いのでは?と思う訳ですが。
言い訳:その2
では、(作り直せば良いと)思う訳ですが、ツールを日本語変換しないで元の動画の通りに進めていたので結構しんどかったのです。
なので、肝心なとは書いたものの(文字列自体はどうでもイイ事なのかな・・・)とも思ってしまい、先ずは感動のお裾分けしたい!と進めた訳です。
結局、演技が終わってドヤ顔してたら、そもそも服を間違えていて「失格ー!」の判定を受けたみたいな事ではありますが。
その失格動画がコレです。
参考に(というより文字列以外は全部そのまま真似)させて頂いた解説動画のURLです。
https://youtu.be/jU4F_5ZBQpY?si=52ZWUHfDcjFSxTh9
(Sphere Cubeさんという方のチュートリアルです。説明の通りに進むと私でも完成しました、って事は判りやすい!って事ですね、有り難う御座いました)
オリンピックにインスパイアされたと言っておりまして最後の部分が五輪マークだったり「LOVE」だったりしていました。
素直に「LOVE」を真似ていたなら問題なかったのに・・・と思ったりもしています。
出来上がった動画は全て真似とは言い乍ら、何度見ても感動ものだと思います。
「Blender」というソフトは何度かハマって、最後は2018年頃にも凝っていたのですが5年も経っていたら別人になってました。
ましてや今回は参考動画が英語表記の侭だったので取り敢えずは私も敢えて日本語にしなかった訳で、余計に戸惑ったのかもしれません。
MacにもWindowsにも無料で提供されているという有難い3Dソフトです(以前にも記事にした記憶はある様な・・・)
正直、以前にいじっていた時には今回の様な動画が出来ると思っていませんでしたが・・・
今回の失敗は(もう一度チャレンジしよう)という目標が出来た訳ですし、繰り返す事でその分、脳に焼き付ける事が出来るのではないかと。
しかも、オイシイのは(もう1度ブログのお題が出来たな)という事でもあって、一粒で3度美味しく「グリコ」超えです。
・・・最後の文字列は昭和過ぎました、ですかねぇ。
本来なら「Blender」で最後の手順としてレンダリングする筈でしたが、スペルミスした事と、カメラワークなども勉強し直した方が効果的かな?などと思った事で、レンダリングを省き「スクリーンショット」によるMacのキャプチャー動画でYouTubeにアップしました。
今までYouTubeへの投稿動画アップの時には携帯を意識して長手方向を460に変えていましたが、今回は560のままでアップしてみようと思います。
昨今は携帯で見ている形態が様々だと思いますので・・・
あ・・・また昭和がこぼれてしまった。
規格外品の野菜でも味そのものは変わりません。
今回の動画もスペルの間違いはあったものの動画の持つ味は変わらないと思います。
もし感動して貰えたら、無料ソフトなので自分でトライしてみるのも良いかな?と思った訳です。
(一応パソコンのスペックを照らし合わせてみる事が重要とは思います・・・「合格」していたら、という事になりますけど)
]]>皆様、お寒い中、色々な意味でお疲れ様です。
今回は二種類の写真を参考にタレ目が何とも愛らしい「シマエナガ」を描いてみました。
ところで、描いて初めて知ったのですが「シマエナガ」の目って黒一色だと思っていたのですよ、ずっと。
目をアップしてよく見たら二重瞼というか、上の方が茶色っぽいんですねぇ、それが更に愛しさアップでした。
本来の目的は寒中見舞いハガキな訳で、鳥の全体像がメインです。
ただ、目がとても気に入ってしまって・・・(印刷だとそこま表現出来ないだろうなぁ・・・)とか思い乍らも拘っちゃいました。
参考にした写真の枝は殆ど黒っぽい色だけだったので何の枝かよく判らなかったのですが、多分、蕾が開く前のネコヤナギかな?などと想像して描いたりしていました・・・そのあたりは結構いい加減だったりしてました。
ネコヤナギ・・・・・・夕張に住んでいた頃には当たり前に周囲にあって、モコモコフワフワの感触を楽しんだ記憶がありますが、(ん十年見ていないだろ)と感慨に耽ったりしていたのです。
(そっか、花屋さんでは見かけた事があった?)とは思うものの、矢張り川の傍で見ていた景色が懐かしく、自分にとっては川も含めての「ネコヤナギ」なのでした。
それにしても初めて札幌に住んだ時に思ったものです。
「ネコヤナギ」然り、「タケノコ」「ヤマワサビ」「ギョウジャニンニク」などなど(値段がついてる・・・)
三笠や夕張に住んていた時には自然が無料で提供してくれていたモノが(都会では売られているんだぁ・・・)
アスファルトやコンクリートにタケノコは生えてこないかぁ・・・ってな事でしたか。
なんか・・・脱線した寒中見舞い発:妄想行き:でした。
因みに、頭の中には「孟宗竹」は生えてなくても「妄想だけ」はしっかりと育ってましたとさ、チャン、チャン。
昭和だー!!
]]>
本年は寂しくも4点だけしか投稿する画像がありません・・・
「・・・」ばかりじゃ埒があかないので早速今年出した年賀状の主な絵柄の投稿です。
1枚目:
主なデザインはこの「ドラゴン」で、背景などを色々組み合わせたりしていました。
先ずは遅ればせ乍ら本年のご挨拶です。
2枚目:
同じドラゴンを使ってのアレンジです。
3枚目:
頑張って描いたんですが、年賀状向きではなかったのかな?とも思ってます。
絵を描くにあたっては(悪しきモノを炎の息吹で・・・)とか思ったんですけど。
「ドクターX」ではありませんが「顔、怖いよ」みたいな・・・
4枚目:
これは置物の写真を参考にして描いたのです。
頭の中には聖徳太子の「和をもって貴しとなす」があったので球(宝珠)に「和」を書いて持たせました。
調べると出典は「孔子」の『論語』だそうですが、ネット情報です。
吉祥である龍(矢っ張り顔は怖いけど)に「和やかにしましょうよ」と平和を運んでもらいました。
さて、ここから先はニッチのウダウダ話なので(講釈は結構!)と思った方とはお別れです。
一応、自分としては(去年はどうだったのだろう?)と過去の心境を読み返したりしていますので必要だったりしています。
自分宛の記録みたいなものですね。
朝に描いて夜に削除を繰り返していた最中に(先ず、頭の中をリセットして・・・)と作業を中断。
(思い付いた図案を鉛筆で一から紙のスケッチブックに描いて、使えそうならスキャンしてパソコンで仕上げたら?)と考え始めた。
色々な種類を描いていたにしても、殆ど模写という事から始めたりしていたので手を加えて進むにつれ参考した絵に近くなってしまう。
頭の中は大混乱・・・描けば描くほどパクリになるし、アレンジすると「龍」の姿から程遠くなっていく。
遂には頭の中に「だったら、そのまんま使用させて貰った方が早いんじゃね?」と短絡的な意見を吐くモノが現れる。
「それはダメだしょ!著作権があったら侵害だしょ」「だからって、馬鹿の考え休むに似たりなんだから完成なんかしなってば」の言い合いが始まる。
途中から「初志貫徹!」と昂るモノが現れ「俺は才能が無いんだー」と嘆くモノが現れ、どさくさに紛れて会議に出されたお菓子を食べてるだけのモノが現れる。
ああ・・・いつもの脳内会議のメンバーかぁ・・・前に何度もみた光景だ・・・
って事は、これは奴が現れる展開か?と思った瞬間に登場。
「イヤイヤイヤ、この話、そもそも現実に龍を見た人って居ないと思いません?」で・・・シーン・・・
相変わらず私の頭の中の住人は面倒臭い奴ばかり。
だよねー、誰かが想像して「龍とはこげなモノ」で固定化されて、幾重にもアレンジされたものの淘汰が繰り返されてほぼ定着したのが今の姿。
ドラゴンもまた然り、そもそもは真似から始まって派生した筈なのだ・・・と、居直りから再作業。
まずは、参考の絵を見ないで思い浮かんだ姿を「お絵かき帳」に鉛筆でスケッチするところから始めてみよう!
・・・と思ったのが12月も20日を過ぎてたのです。
結局1、2のドラゴンは『ヒックとドラゴン』の「トゥース」が頭にあったものの一応はオリジナルな絵としてそれほど抵抗なく使用できました。
3と4は真似があったので結構抵抗があったもの・・・自分の(恐怖のワンパターン)の発想が主を占めているのではないかと判断して採用。
文言も悩みました・・・
主な文例は
「世界の平和を祈って
平和な世界を願って
新春のご挨拶です」
をメインに、宛先人への個々のメッセージを添えてはみたものの、新春の祝賀のメッセージは殆ど書けずに出しました。
そして1日に能登半島の震災。
出してしまった後の出来事なので如何ともし難いのですが気持ちは複雑でした。
本当は、だからこそ厭世的な気分ををこの新春に切り替えて「ご多幸を祈ります」みたいな文章をメインにすべきだったのか?
モヤモヤしている内に今日が来てしまいました。
う・・・・・・・ん、投稿っ!
]]>大体の方は仕事を始めたところでしょうか?
毎年恒例(?)今回のボツの絵と理由です。
1点目に「暗い!」朧げに言いたい事は判るけど少なくても年賀状向きでは無い・・・
2点目は参考にしていた元絵に近すぎた(つまりはパクリになりそうな)ので結局は途中で止めてしまった。
ネットで見つけた絵を参考にしたもので、シルエットが良いなーと思って始めたんですけど・・・
そのまま使えば盗作、とて、変えると良さが消えてしまう。
悩ましく思いつつ、いじましく最後までアレンジに挑戦していたのですが、結局はフォルムをアレンジし切れませんでした。
なので、出す事の無かった1枚です。
参考にした画像です。
(※ 画像クリックで拡大出来ます)
色々探し回ってい居る時に写真共有サービスみたいなところで見つけてキャプチャー画像として保存していました。
そのサイト自体が「もし自分の作品の著作権が侵害されたと思ったら知らせて下さい、そうしたら表示しません」みたいな事が英語で提示してあったので、描いた人の情報は判りません・・・著作権の有無も判りません・・・が、侵害にあたる場合は私も消去致します。
その絵を元に作りかけた年賀状です。
そんな風に「挑戦しては途中で止めて」を繰り返していました。
それにしても邪魔になったのが「AI」・・・(アドビ製品を使用していると「Ai」は「アドビ・イラストレーター」も意味するので紛らわしいですが)「人工知能」なるものですね。
複数参考にして気に入った形状、構図などをアレンジして描こうと思った時に、殆ど先回りで「AI」が描き尽くしていました。
しかも「良いとこ取り」で精密に仕上げている殆ど同じ様な絵が画像検索のウインドウいっぱいに埋め尽くされていました。
自分の発想で描いたのなら「AI」の作成画像に似た絵があっても気にしないんですが、参考にした元絵がある訳なので勝手に負い目を感じてしまいます。
使用していたソフト群が使いこなせなかった事も行き詰まった一因でした。
進化し過ぎて(何でも出来そう!)の期待の昂まりは(何でもって何?)と疑問を持った辺りから崩れ始めました。
そもそも「何」を持っていないのに、ソフトのトリセツを調べているだけでも時間が経過して・・・
身の程を知った訳です。
わきまえる積もりは無いんですけど、知っちゃいましたねー、身の程。
2024年正月、(今後せめて楽しく絵が描けたらいいなぁ)と感じて、(その為には普段から鍛錬しなくちゃ!)
・・・と改めて思っているところです。
]]>
さて、2024年ですか。
今年届いた年賀状を眺めるに私の感性と似た感覚で綴っていた1枚がありました。
妻の友人から妻宛でしたが読ませて貰うと「迎春」の大きな文字に続いて現状の世情を綴った文字だけの年賀状でした。
その中「頌春・賀春の賀詞を使えない新春を迎えました」の一文に(判る!)とシンクロです。
そういう意味から見ると「迎春」の言葉を選んだ意味合いを重く感じます。
丁度年末にも年賀状の文面に触れていましたが、単純に新春を祝う気分では無い人も大勢いるのだと推測されます。
・・・と書いている最中の、まさに今、能登半島で震度7の地震、日本海側の全域に津波や大津波の警報・注意報が報道されています。
正月早々に具体的な嫌な言葉を使わない様に注意しながら書いていたつもりですが・・・
新春を祝う気持ちをのっけから否定する様な出来事です。
「どうなってしまう?地球」という規模の懸念がどんどん膨らんできます。
この2,3年は人間に壊し続けられた自然の報復と感じ取っていましたが、今はその上に更に兵器で破壊を続けている愚行が続いています。
元旦の文章とも思えませんが・・・
「いますぐ避難!」と叫んでいる速報を横目で見ながら大きな被害になりませんようにと願うばかりです。
2024年1月1日の更新記事です。
]]>「去年の出来事イキナリドカ雪、今更戦争、今時国葬、今だに統一教会、何でも値上げ、そして依然コロナ」
いっやー、正月早々忌み嫌われる事柄の羅列って・・・
昔なら打首ですよ。
・・・伝統の破壊はそれはそれで良くないとも思いますが、ここまでやってくれると「天晴れ!」と両手で日の丸の扇を振りたくなります。
年賀状のマナーに「忌み言葉」があって「正月から縁起の悪い言葉は避けましょう」という事ですが、私は正直この伝統は好きじゃありません。
本音を避けましょうと強要されている気分になります。
勿論、受けとった側の人を「正月から嫌な気分にさせないで」という配慮は必要とも思いますが・・・悩ましいところです。
それにしても、来年受け取る彼からの文面を想像するに、何も変わっていそうもないのが問題です。
札幌、正月の予報は今日から明日にかけ「ドカ雪」でした・・・(今朝から2度ほど雪かきしましたが、今夜は止みそうな気配なので正月のドカ雪は回避出来たかな?)
「今更の戦争」は終結していないどころか色々な場所に飛び火して拡大しています。
流石に「国葬」は無いものの引き続き前首相の置き土産の統一教会問題はまだ解決していませんし、さらに安倍派の裏金問題の追加です。
「何でも値上げ」も今年は加速している有様。
コロナが「インフルエンザ」に変わったのかな?とは思うもののコロナ自体は無くなってはいませんし。
その中で日本中を沸かせてくれたのは相変わらず大谷選手や藤井八冠の活躍でしょうか。
自分にとっては夢の様なパソコン環境を娘から送られて有頂天の年。
・・・で、それを活用出来なくて最後まで思い通りの年賀状が描ききれなかったのが悔いとして残りました。
(こそっと出しちゃいましたけどね)
さてさて皆様の2023年は何でしたでしょう?
あと6時間くらいになっちゃいましたが「良いお年を!」
]]>「去年の出来事イキナリドカ雪、今更戦争、今時国葬、今だに統一教会、何でも値上げ、そして依然コロナ」
いっやー、正月早々忌み嫌われる事柄の羅列って・・・
昔なら打首ですよ。
・・・伝統の破壊はそれはそれで良くないとも思いますが、ここまでやってくれると「天晴れ!」と両手で日の丸の扇を振りたくなります。
年賀状のマナーに「忌み言葉」があって「正月から縁起の悪い言葉は避けましょう」という事ですが、私は正直この伝統は好きじゃありません。
本音を避けましょうと強要されている気分になります。
勿論、受けとった側の人を「正月から嫌な気分にさせないで」という配慮は必要とも思いますが・・・悩ましいところです。
それにしても、来年受け取る彼からの文面を想像するに、何も変わっていそうもないのが問題です。
札幌、正月の予報は今日から明日にかけ「ドカ雪」でした・・・(今朝から2度ほど雪かきしましたが、今夜は止みそうな気配なので正月のドカ雪は回避出来たかな?)
「今更の戦争」は終結していないどころか色々な場所に飛び火して拡大しています。
流石に「国葬」は無いものの引き続き前首相の置き土産の統一教会問題はまだ解決していませんし、さらに安倍派の裏金問題の追加です。
「何でも値上げ」も今年は加速している有様。
コロナが「インフルエンザ」に変わったのかな?とは思うもののコロナ自体は無くなってはいませんし。
その中で日本中を沸かせてくれたのは相変わらず大谷選手や藤井八冠の活躍でしょうか。
自分にとっては夢の様なパソコン環境を娘から送られて有頂天の年。
・・・で、それを活用出来なくて最後まで思い通りの年賀状が描ききれなかったのが悔いとして残りました。
(こそっと出しちゃいましたけどね)
さてさて皆様の2023年は何でしたでしょう?
あと4時間くらいになっちゃいましたが「良いお年を!」
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前日朝の報道では札幌は22日に積雪50センチとの予報でした。
それが夕方の予報だと40センチに減ったものの、当日は早起きして病院へ出かける前に「雪かきせねば!」と構えてました。
4時に起きて外を見ると、数センチ・・・
別に文句はないんですけどね。
札幌でも地域によってはかなりの雪害があった様でしたから、長い鉄路では余計に様々な雪模様です。
ホームに流れるアナウンスを聞いていたら、私が待っていた「30分発札幌駅行き」列車は予定時刻に到着予定との事ですが、その次の「50分発小樽行き」の列車は大幅に遅れる予想とのお知らせでした。
なので「小樽方面へ行く予定の人は定刻到着予定の30分発の列車に乗って札幌駅で乗り換えて下さい」との事でした。
勿論、「早めに駅に着いて目的の列車を待つ」人も居る訳で、その方達にとっては親切そのものです・・・・けど、大抵の人は50分発の列車に合わせて駅に到着するのではないか?と・・・
(前夜の天気予報で早めに家を出る人が多い筈)と予想しての事なのでしょうか?
(駅のアナウンスってこんなに親切なんだー)とは思いましたが、微妙な感じで聞いていました・・・
私自身は問題なく次の駅へ着いて病院の送迎バスを待つ事ができました。
さてさて、待合室で送迎バスを待ち乍ら、今度はその駅のアナウンスが何度も同じフレーズを繰り返し耳を通り過ぎていた事に気付きました。
(何か言ってるなぁ)と注意を向けた途端にその中の一節がひつかかり、意味を持ち始めると・・・
「???!」
私の耳には「エスカレーターでの寝タバコはご遠慮ください」と聞こえていたのです。
(まさかネ)と思いそのフレーズの時には特に注意して耳を澄ませても同じにしか聞こえない。
「おタバコは」と言ってる?とか置き換えてみても、今どきの構内は禁煙が常識なのて態々のそんな注意喚起は想像出来ない。
では、何て言ってたんだ?
確かめる事が出来ずにいる内にバスが到着してしまった。
それにしても、「エスカレーターで寝タバコ」って・・・遠慮するなと言われても遠慮しちゃいますよねー
通うべきは「内科」ではなく「脳神経外科」なのでは?と思い乍らバスに乗り込みました。
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身体は順調なのに頭の方が不順調なんですね・・・
「集中力」を何処にしまっちゃったのか?ってずっと探し回っていたら探し出す集中力が無くなっちゃった。
「持久力」だけが私の全てだったのに、集中力と一緒に片付けてしまったみたいだし。
ブログ更新も気になっていましたが、どの引き出しを探しても、ちょっと置いただけの筈の「実行力」も見当たらない・・・
でも12月半ば、このまま放っておく訳にもいかないので取り敢えずの一筆。
と書いてから3日、4日と過ぎていくのも毎度の事でした。
何度も書き直す前の最初の書き出しは「12月になってしまいました」だったんですけどね。
そう言えば、過去の年賀状を眺めていて気付いた事がありまして・・・
私が初めてパソコンで年賀状を描いたのが辰年の龍の絵柄だったのは以前にも記していました。
改めて見直すと西暦2000年・・・20世紀最後の年だったのですね。
その頃はまだ時の歩みは日進月歩という感覚でした。
前の年に龍の絵を描きながら(来年で愚かな20世紀が終わるんだ)と漠然と思っていました。
(21世紀に辰年の年賀状を描いている時には世界は愚かな争いから学んでいる筈)と、もっと漠然とした期待もありました。
その後の辰年はWebの講座で描き・・・2023年の今、2024年辰年の年賀状に四苦八苦しています。
それにしても、あの時は朧げではあっても「期待」というものを持っていた筈なのに・・・
以前に増して人間は愚かさへ一直線という感じがしています。
そんな中にふとニュースに気を止めると、昨今の日本の報道は大谷選手の一挙一動を中心に回っている様な。
新聞紙上のニュースもテレビ番組表の編成もそれだけが明るい気持ちにさせてくれると縋っているかの様に「大谷」という言葉を載せています。
逆に言うとそれしか無い・・・
・・・とか、別に逆に言わなくてもイイのでした。
明るい話題があるのは救いですもんねぇ。
どれだけ多くの日本人が「大谷選手」に救われているのかと改めて感じ入っているところです。
さてさて、雑談終了・・・年賀状の図案、捻り出さなくっちゃ!でした。
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此処は或るカラオケ店。
「夏」は我が物顔で握ったマイクを離さずに歌い続けていた。
自分が歌いたい曲をセットしたもののボタンを押せずにいる小心者の「秋」
喉が枯れた「夏」からやっとバトンタッチのマイクで歌い始めてみたものの・・・
ずっと焦れていた「冬」の奴めが自分のセットした曲のボタンを押してしまった。
「冬」が歌う曲の前奏が流れ始める中で歌い通す事も出来ずにマイクを渡してしまった小心な「秋」
みたいな。
別に秋に加勢をするつもりでは無いんですけど、この冬、初めて雪掻きをしました。
25日の早朝。
例年の調子で(さてさて、おっぱじめるかい!)と意気揚々だったのです。
いっやー、驚きました。
ベタ雪で重いという事はあったにしてもです。
ひと掻きした途端に(ダメだ・・・多分息が続かない・・・)の挫折感。
何とか呼吸を整えて最後まで続ける事は出来たのですが・・・
この冬、先行き不安な幕開けとなりました。
その日の夕方に窓から覗くとまた積もっていました・・・今度は意気消沈し乍らです。
いっやー、驚きました。
2回目という事はあったにしてもです。
ひと掻きした途端に(おー!ガンガンいけるではないか!)の高揚感。
もう(昨日までずっと雪はねしてたよ)みたいな例年の様な調子で慣れていました。
何でしょうねぇ・・・私のこの環境に対する順応能力ってば。
このところの寒暖差の激しい毎日に身体共に合わせにいってるんだろうか?と・・・
さてさて、今月の半ばに書いていたメモがあります。
更新しなきゃ・・・
という思いでいるのですが。
毎日、朝に年賀状の絵を描いて夜には消してという事を繰り返していて、さすがの焦燥感
それが今日まで続いる訳ですが・・・
そんな中、一昨日いつもコメントを寄せていてくれるA君から私的なメールがありました。
私のメールはダイレクトメールや迷惑メールが99パーセントなので通知のマークがあっても全く気にかけていなかったのです。
それでも、普通は1日に1回は開けて見ていたんですけど、(その日に限って!)という事態です。
着信を表す数字が増えていたので「ハイ削除。ハイ迷惑メールへ」と流れ作業で消去していたらまさかのA君の名前表示。
而も、なんたる事か着信履歴は「昨日」となっていたのです。
大慌てでお礼とお詫びの文を添えて返信したのですが・・・
そう言えば今月はブログの更新が無い。
その上にメールしても返信が無い・・・ってのは想像してしまいますですねぇ。
(あれ?いよいよ??)逆の立場だとして私ならそう感じてしまいます。
そっか・・・せめて「おはようございます」の一言でも更新した方が良さそう・・・と思った訳です。
年賀状は絶望的にまだ1枚も仕上がっていないので心情は最低ですが身体は元気に過ごしております。
前回から30日目の更新、今月最初の記事でした。
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前回の記事でも昔、「使い慣れたソフトで仕上げた」などと表現していましたが・・・
2012年の話でしたし。
そのあたりから「Adobe」製品は買い切りではなくなり、契約を止めたら手元には無くなってしまう月払い・年払いの契約制へ移行していました。
住みごごちは満点だけど家賃がバカ高く、結果的にも自分のものにはならないという高級賃貸マンションみたいなシステムが馴染めない・・・
・・・見栄張ってました!それ以前に払えもしないって事でしたけど。
(今回は仕事上必需なので使用しているという娘にあやかって使わせて貰っている訳です)
10年くらい前に私が持っていた買い切り制最後のソフトもMacのOSが対応しなくなった事で使えなくなってのドタバタは何度か綴っていました。
さてさて、今回いざ(使い慣れていたので勘を取り戻すだけな筈の)「Photoshop」を始めてみると・・・なめ切ってましたねー・・・
「昭和の10年は令和の10分じゃ!」みたいカルチャーショックです。
「木を擦って火を付けるのは慣れてるから」の私が、(ま、いくら慣れてるとは言え、そろそろ手順なんかおさらいしておこうか?)などと余裕をかましてたら、時代はライターで火を付けるのがスタンダードになっていた!みたいな。
而も「中途半端に知っている」という事が一番厄介な立ち位置になる事も改めて実感させられました。
初めての経験だと素直にその侭受け止めて吸収する筈の単純な操作でも・・・
(昔はこんな操作だったのに)(昔はこの手順で済んだのに)などと、要らない「何故?」を生んで逆に障害になったりして。
今はどのソフトも「AI」が組み込まれていて手間をかけなくてもあっという間に処理出来る仕組みになっている事に驚いてもいます。
次の画像はいつもの公園の写真です。
(文字の方は合成で遊んでますが・・・)
それが画像を選択しておいてメニューからのワンクリックで次の画像に早変わりです。
更にもう一度ワンクリック。
一昔前は木や、木の葉の間など切り抜きに物凄い手間のかかる工程だったんですけど、秒殺です。
「あっ」という間で「えっ?」と間抜けな声が出て「おーっ」と感激したりしています。
思えば5歳の時に会った子供が、10年を経て15歳の時にもう一度会った・・・変わらない方が訝しい話なのですけどね。
時代から振り落とされない様にしがみつくだけでも必死といったところです。
ただ・・・今までの様に「こんな珍しい空でしたよ」という写真が「合成でしょ?」と言われかねない危うさも感じているところでもありますが・・・
]]>(・・・・あ、まだ死んでませんけどネ)
意識は12年前の「Web講座」の教室にタイムワープ。
このブログを始めるきっかけとなった半年間の受講の日々でした。
授業科目の一環として、操作を覚えるべき必須科目の一つとしてソフト「Illustrator」がありました。
このブログの中で何度も「苦手だー!」と嘆いていた(「いた」ではなくて「いる」という現在進行形かな?)ソフトです。
「描く」というよりも「操る」というイメージで・・・結局操れなかったという敗北感一杯のソフト。
ざっくりとした説明と実践を繰り返して、科目の最終日に「来年の年賀状を『Illustrator』で描いて提出」という課題が出されました。
その時にスケッチ帳に描いた(こんな感じかなー・・・)のイメージ画です。
「Illustrator」は(あの時にもっとしっかり覚えていたら・・・)と、苦手にしてしまった事を今でも後悔しているソフトです。
毎授業、教室で唸りながら挑んでいましたが結局は提出日には間に合わず「途中までで構わないので」と言われて半端な侭で提出してしまった画像ファイル。
今、あらためて眺め(うん、やりたい事は判るんだけどね・・・先ずは時間配分考えようかぁ)と言ってあげたい気がしています。
相変わらず「木を見て森を見ず」なのでした・・・(今も変わってないのですが)
でも、取り敢えずその画像を下敷きにし、使い慣れたソフトでその年の絵柄の中の1枚として無理やり仕上げる事は出来ました。
思い起こせば初めてパソコンを使って年賀状を描いたのは更にその12年前の「辰年」の年賀状でした。
失敗作やら、出し損ねやら、「宛先不明」で戻ってきた年賀状をストックしたファイル帳を眺めます。
竜の部分だけを白抜きにして背景はパソコンで描いて印刷したこの1枚・・・当時は夢の様な画期的な進歩に感じたものです。
この画像、手や足、顔の1部分が白抜きの侭って事は、多分(目の部分でしくじって途中で止めた?)という事で手元に残っていたのだと思います。
更に更にその12年前の年賀状・・・上記の「パソコンが画期的な進歩」だと言わしめた曰くの1枚も残っていました。
最初にインクが飛び散っても大丈夫な様に新聞紙を部屋一杯に配置してからの作業・・・
先ずは大きな白抜き部分はマスキングフィルムを貼ってカッターで切り抜き、マスケットインクという乾くとゴムの様になる特殊インクで細かい部分や稲妻を描いて、インクが乾くまで人数分のハガキを部屋中に並べ足の踏み場も無い状況。
数種類の網とインクを用意してその上から基本となる色を適当にスパッタリング(網を浮かせて持ちインクをつけた歯ブラシを擦り付ける)という技法で色を吹きつける作業。
乾いた順に切り抜いた型紙を置いて黒インクを吹きつけ、乾いたらまた違う型抜きの紙を当てて・・・という作業を数回繰り返して仕上げました・・・が、それでようやく背景が出来ただけーという事です。
最終的にインクが乾いた後で白抜きになった部分にペンで龍を描いて・・・と、えらく手間暇のかかった作業だったと改めて思います。
部屋中に敷き詰めていた綺麗な色に染まった新聞紙を片付けて、その侭にしておくとコビコビに固くなってしまうインクの付いた網やブラシを洗うのも一仕事で・・・
こういう思いが自分に「年賀状描きは国家的一大イベント」という風にインプットさせたのかも知れません。
龍の顔の絵柄は多分当時見ていた本の誰かの模写だと思われますが思い出せません・・・切り絵画家だと思います。
手書きの時代には完成年賀状が手元に1枚も残らない訳ですが、この年賀状は「宛先知らず」で戻ってきた為に、今では(そっかー、当時はこうやって描いてたんだー)と想い出になる1枚となりました。
後年スキャンして保存していた画像を「ホーム・ページ」掲載の時に下側に書いていたメッセージを塗りつぶしてアップしました。
12年前へのタイム・ワープが加速し過ぎてドンドン遡ってしまいましたが・・・
殆どが20代だった教室の受講生たち、あの後、望んだWeb関係の仕事に就く事が出来たのだろうか?
今も「Illustrator」を仕事で使ったりしているのかな?などと懐かしく想い出したりしていた訳でした。
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やって来ましたねぇ・・・また。
あ・・・自分が呼び戻したんでしたっけ?
前回の記事ではメダルが砕け飛び散る動画を投稿したのですが、本当はその前に試作した動画が気になっていたのです。
作っていたのはメダルではなくて文字が砕けて飛び散っていた訳ですが・・・(捨てがたい)
最近、「Illustrator」の操作を覚えたいが為に参考にした筈のYouTubeの動画が「After Effects」とリンクしていたのを見て・・・(試したい)
「捨てがたい」+「試したい」=今回の動画てな事になりました。
前回、区切りをつける為に玩具箱にしまった筈でしたが・・・
イヤァ・・・蓋がしっかり閉じていなかったものだから見えちゃったんですね、「After Effects」の頭が。
(あ、蓋が開いてる・・・閉じなくちゃ・・・)
で・・・目が合っちゃったんですね・・・恨めしそうにしている「After Effects」と・・・
で、そのう・・・箱から出てもらってもう一回お喋りしたいかなぁ・・・なんて。
私はどうしても「NICHE」には砕け飛び散って貰わないと収まりがつかない様です。
今回は風に乗って去っていくという演出付きにしました。
折角砕けて飛び散るのならその前の演出も必要かな?と「Illustrator」で螺旋作りに挑戦。
その線に沿ってエフェクトをかけるという算段でした。
二つの動画をどう組み合わせるんだ?などとの初期的な疑問が沢山ありましたが何とか無事(?)に作り上げることが出来ました。
」
結局、基本的なところで苦手としていた「Illustrator」
参考にしていた動画の通り作っていた螺旋部分を綺麗に描けたのに、その後に自分なりに付け足した部分に「難有り!」でした。
ベジェ曲線を綺麗に描ける人が見たら(下手すぎて気持ち悪りぃ)なんだろなぁ・・・
絶対音感のある人が外れた音を聴くと気分が悪くなるみたいな感じなんだろなぁ・・・
でも、それ以上に(へー、こんな事が出来ちゃうんだぁ)の感動が優先しまして。
併せて、記事ネタが出来た事にも感謝して・・・投稿っ!
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またもや、能天気なオープニング・・・前回の反省度ゼロですねぇ。
その前回の記事で「思い描いていた『出来そう』の一部は」と書いて「一区切り」した筈でした。
が・・・そう言えば「思い描いていた」と綴っていた事の中には「粉々に砕け散って」とも記していました。
それが途中だったので「一部は」ではなく「一通り」の区切りをつけるべく精進していたのです。
当初の予定では前回の動画の最後で文字が砕け散る筈でしたが・・・
そこだけ予定を変えて同時進行で作っていた金色のメダルが砕け散るという事にしました。
(メダルの中に「NICHE」の文字が刻まれているから、まっ・・・いいか)という安直な妥協案の産物です。
で、メダルに据え置く画像・・・色々探した挙句に27年前に年賀状用に描いた猫の点描の原画を発見したのでそれをスキャナーで撮りました。
「1996年」のメモ書きが添えられていたので子年年賀状用にと前の年に丸ペンでコツコツと点を打って試し書きした絵だった筈です。
ハガキ大の紙に描いていた絵なものでスキャンして拡大するとかなり点が潰れてしまっていますが・・・
同時に、数年前にその絵を元に100円ショップで買ったグラスに今度はグラスリッツェン専用のダイヤ・ペンでコツコツと点を刻んで描いた事を思い出しました。
現物のコップはその後、私が入院中に起きた大きな地震の時に壊れてしまったのですが、写真がありました。
そうか・・・手書きの頃の「猫」の絵を記念メダルに変換して、砕けてしまった「猫」の絵のグラスを復活させようか、と・・・
「Aftereffects」を操作して作った試作としては3作目になりますが、自分としては象徴的な動画となりました。
これも、それぞれのパラメーターをいじるとまだまだ色々な変化を付ける事が出来ますが、最低限のところで抑えているのはMacに無理をさせられないという事と、矢張り時間ですね。
いつもの私ならまだまだテンコ盛りに飾りつけるところなのですが・・・
そろそろ年賀状描きに備えて新しい「Photoshop」や他の画像用ソフトにも慣れておかなくちゃなぁ・・・と思い始めています。
ならば、今のうちにせめてやりたかった「砕け散る」エフェクトの完成までは何としても辿り着かねば!
・・・というところで、冒頭の「やるなら今しかねぇ」と一心不乱なのでした。
動画ソフトでの遊びは初めての体験が面白くてキリが無い・・・先ずは一区切り、玩具箱にしまっておく事にした訳です。
でも、おかげでこのブログのネタとして使える事に助かっていましたね。
ウダウダ書いてるとまた遅れてしまうので、何はともあれ投稿しなくちゃです。
タイトルが微妙ですなぁ・・・化けるのが猫ではなくてメダルだなんて。
]]>締め方も唐突でした。
さてさて、途中報告だった脳内会議の結論は今回(やっぱりなぁ・・・)の妥協案成立です。
「取り敢えずは現在出来上がっている映像を動画変換してしまいましょうかぁ」って、コレですから。
最初の頃に「YouTube」を参考にし乍ら始めてみた試作がデスクトップに散らばっています。
先ずは整理した後、仮に据えた「円柱画像」をやっとこさ作り上げた「コーヒー・ペットボトルの画像」に置き換えた「01」
その後、その操作を土台に矢張り「YouTube」の他の動画を参考にして試行錯誤で妄想に近づけた進化形の「02」
それらを昨日動画ファイルに変換し、本日、自分用の「YouTube」にアップロードする事が出来ました。
判った事は、凝れば凝るほど「レンダリング」など最終処理に時間がかかり、マシーンにも負荷を強いてしまう・・・という事でした。
なので、果てしない「もっと」の妄想は多分叶えられると思い始め「出来そう」の確信めいた期待も持てた事で「回る3D文字」は一応この辺りでストップです。
他に確かめられた事は、以前に書いていた「音声がないとアップロード受け付けてくれない」と勝手に思い込んでいた事が完全に間違いだったという事でした。
今回、それも併せて実験的に音声抜きでしたが、なんともまあ、あっさりと受け付けてくれたではないですか。
本当は「脳内会議」の続編でネタを続けようかと姑息な事も考えましたが「会議の中継は厳禁!」のお達しで断念・・・
(半数以上は絶対寝てる・・・)との憶測もありますが。
ただ、無駄に長い文章は逆に必要無い訳で、動画二本だけでも重くなるかも知れませんし・・・
(その辺りの事は詳しく判らない分野なので安全策をとりたいと)
取り敢えず娘からパソコンを貰って以来思い描いていた「出来そう」の一部は、一応の完成をみたという事で一区切りです。
「Aftereffects 」・・・やっと分厚い門を開けられたのかな?
・・・と思ったら、何と!敷地内に片足を踏み入れた程度で門は遥か先に在ったとさ・・・という話でした。
]]>・・・・・この歌詞、以前にも1度借用した記憶がありますが・・・
このところ、色々やっていて先ずは一段階クリアーかな?とは思っています。
・・・が・・・
一番最初に、今回作ったボトルの代替えに「Illustrator」で簡易的に円柱を作っていました。
作っていましたと書くと誤解されますね。
楕円を描いて、押し出して、マテリアルを貼って・・・と、ピッポッパッだった訳なので・・・
その時にはその円柱の周りを「NICHE2023」などの文字列が前を横切り後側へ回り込み2,3周するという事を思い描いて挑戦していました。
結果は成功したので本来なら今回作ったボトルを中心に入れ替えるだけでOKな筈でした。
今回仕上げたボトルです
前回ラベルを載せた「NICHI」印のコーヒー飲料です。
「喰えねーなー」ではなくて「飲めねーなー」ですが。
ところがですねぇ・・・同時進行で、その間に照明は?背景は?などとネットで調べている内に・・・
(あっ、文字2Dじゃなくて3D化したいか・・・)
(あっ、それを金属的な質感にしたいかぁ・・・)
それから延々と妄想アレンジは限りなく・・・
全然終わる気がしない。
・・・と、これは私によくある事なのですが、今回はもっと厄介な事になったりしています。
テレビのコマーシャルを見ていても、(この手法使えるかも?)などと思い始めると即「YouTube」
すると、思わぬ手法に出会したりして(成る程ネ・・・それが出来るなら、こーも出来るのか、あーも出来るんじゃない?)
その内に(そのシーンだったら、ペット・ボトルは逆に邪魔になる訳で、必要無いのかぁ・・・)って。
「それはダメだしょ!先ずは最初に目指した事を完結させてからだしょ!」
「んにゃ、最初に目指したんぢゃって、完成なんかせん、まんだ暫くかかりそうぢゃて」
「忘れるね、そんな待ってたら必ず忘れるね、言い切れるし」
「イヤイヤイヤ〜この話、そもそも本末転倒になってません?」
脳内会議で頭の中がざわめいています。
結論は出そうにも無いのでこの辺りで途中報告・・・記事更新!
]]>
何かをやり始めるのは良いとして、些細な部分に凝り始めた途端に(無駄に時間ばかりが流れててしまう)と何時も感じるんですが。
時間がかかった結果に(おフザケ目的で作っているんだろうけど、自分が思ってるほど面白く無いよ)と自覚。
判っているのですよ。
でも・・・
自分が思った以上に愉しいんですよコレが。
自己満足の極み・・・「ゲスの極み老人」!
これが「ニッチ」と評されて「ニッチ」と名乗った所以です。
前回、前々回の投稿で「四角のボトル」と書いていたのは次の画像です。
スクリーンショットなのでグリッド(格子模様)が表示されてますが・・・
何の苦労もなく画像をクリックするだけで「出来上がりー」ってのは「ディメンション」凄い!
3Dなので「X,Y,Z」どの方向にでも回転出来るのが魅力です。
(※ 各画面はクリックで拡大できます)
蓋部分に貼り付ける画像です。
「ラベル」の表側になる面の画像。
コーヒーカップは見様見真似で一番苦手な「イラストレーター」というソフトで作ってみました。
一人上手な遊びで無駄に時間がかかってしまった「ラベル」の横側になる画像。
どうせ「イラストレーター」に挑戦し始めたのだからと、リサイクルマークなどもネット画像を利用せずに自分で作ってみました。
「ベジェ曲線」で毛嫌いしていたソフトでしたが、マークなんてあっという間に出来るんでしたねぇ・・・
(「食わず嫌いは止めましょう!損をするのは自分です・・・)と今更乍ら後悔しています。
最終動画でこのボトル自体が回転するのなら4面全部の画像が必要ですが、静止画像として使用するので見えるのは2面だけ。
こういうところはしっかりと手抜きをします。
ところが・・・最終的にはこのボトルさえも小さくなってしまうのだから側面の文字は読める訳もない訳なのに・・・
(「らしく」見せる為には必要な事な筈)とか思って作っていました。
文や画像は色々なパッケージを参考・検証し乍ら描き上げた「もどき」画像。
辻褄合わせに一番時間を取られた画像なのでクリックで大きくして読んで頂けると努力が報われます。
コレらの画像を統一してボトルに貼り付けるラベルとなる訳ですが、この時点で既に字は読みにくくはなってます。
でも、それらしく見えるのでOKなのではないかと・・・
一応この後はラベルを貼り付け出来上がったペットボトル画像を中心にして「niche」の文字が回転するという動画を作る予定にしています。
手応えは感じるんだけど作業を始めると「谷あり、谷あり」の予感もしています。
途中ではありますが、この尽夢中になっていると、また記事の更新期間を開け過ぎてしまいそうなので更新します。
そうそう、「尚、今ならこのブログご覧の方に限定記念グッズを」
なんて事も、貼り付ける画像さえ作ってしまえば簡単に応用できたりするというオマケ画像を載せて、さて、投稿です。
]]>
それで、参考にしようとネットで見たり店へ行って実物を手に取って横や後ろ側などパッケージデザイン(と言うのかな?)を確認したりしていました。
さすがに北海道、「北海道産生クリーム使用」とか色々北海道の地図を添えたデザインが数種ありました。
(それ、使えるかも)と私も北海道地図をイラストレーターで描いたのですが・・・その作業中に気になる事があったのです。
某メーカーのデザインでは北海道地図には北方四島が記されていたのを思い出しました。
北方四島を描いているパッケージもあれば、単純化して利尻礼文なども含めた「島」そのものを省いているのも色々でした。
自分が作っているのは多分最終画面では北海道地図そのものが映り込むか否か判ら無いほど小さくなる筈だし、ましてや個人が勝手作った絵という事になるので何の問題も全く無い訳なのですが・・・
「意識」に入った途端に意味が深くなってしまいました。
考えは軌道を逸れて(「長崎県」って島の数が多いんだけど、全部書き込むのだろうか?)とか(そういう事で言うと「東京」は「伊豆諸島」や「小笠原諸島」まで描いていたらボトルの前面は地図だけで終わる?)などと泳いでたりしてました。
とか、ここまで綴っていた文章とは全く関係なく、唐突に思いついた事があります。
11年前に講座の課題としてホームページを作った事はよく書いていました。
そのオープニング画面を「フラッシュ」で描いていた為に現在では通常のブラウザで採用されなくなってしまい、動きのない代替え静止画面になってしまった事も書いたりしていました。
折角娘がパソコンやアプリを用意してくれたのだから再現してこのブログに残したい・・・
思ったら実行!何とか再現してYouTubeへアップする事に成功したので「埋め込み」です。
本来音楽は付いていなかったのですが、YouTubeは「音」が一緒でないとアップ出来ないので「GarageBand」から適当に充ました。
(上の行はずっとそう思い込んでいただけの様です・・・検索してもそんな事は書いていません。
でも、一番最初に投稿した時に「音声が無いのでアップ出来ません」みたいな警告を受けた記憶があるんですよねぇ・・・)
いずれにせよ、アップしてしまったのだからそのまま使用です。
タイトルの「幻のopening」・・・普通は期待しますよね。
厚塗りタイトルで誘っておいて中身は軽薄〜って・・・そんな魂胆ではありません。
自分にとっては、「ホームページ」作りで最も苦労して、最も楽しい時間を過ごした動画だったのです。
作った時あたりから「フラッシュプレイヤー」の脆弱性が噂されてはいましたが、あっという間に禁止状態になってしまいました。
今思うと、オープニングって必要あった?とも思うし、自己満足だけの稚拙な動画だとも思います。
でも、苦労した事が「まぼろし」になってしまった時のショックったら・・・
が、タイトルの所以でした。
この動画に至る経由などは次回という事にしまして更新!
]]>
「暑くて・・・食欲がない」などと1度も思った事も無く猛暑を乗り切りまして。
それにしても食欲減退を感じないという事は元気の証しなのでしょうね。
だったら何故投稿を続けない?と自問自答しますが・・・こちらの方は集中力減退でしょうか。
こんな時、そうだ「AI」でどんどん新規投稿しよう!
とか・・・強いられたレポート提出じゃあるまいし、意味が判らなくなってきます。
そもそも「じゃー何故ブログを開いた?」と根幹の話に触れる事になってしまうので夏ボケ寝たフリ作戦です。
その「AI」の話ですが、最近のGoogleなどの検索サイト・・・
「これ以降の結果は期待する内容と一致しない場合があります。引き続き他の画像を見る」
という表示が出るのが早過ぎる様になったと思いませんか?
而も表示されていた内容の半分以上がもう既に「内容と一致」してないし・・・
以前は「これでもか」ってくらい「次」があったと思うんですよね。
それで、「次」、「次」、とページを送っている内にやっと望んでいた目的事項にヒットする場合もよくありました。
現在の判断は「AI」なのでしょうかね?
ロクでもないサイトに誘導されない為のフィルターだろうとは思いますけど。
それにしても表示が少な過ぎる!
(お前の投稿回数に比べたら多いだろ?)と返されたらすかさず再度夏ボケ寝たフリ作戦開始です。
このところ、このブログで語っていた「出来るかも」と言っていた事に挑戦中ですが、慣れないソフトを扱う関係で検索サイトから皆勤賞貰えるくらい訪問しています。
昨日も「四角いコーヒー飲料」と画像検索欄に打ち込んだ訳です。
敢えて「四角」で切らずに「四角い」としたのですが。
1ページのみ33件の表示で・・・それぞれに「四角い」「コーヒー」「飲料」の各単語に当てはまる画像が検出されました。
ただ、どうして「丸い・フレーバー・ティー・食料」が同時検出されていたのか・・・意味不明。
業務用自動製氷器・・・というのも理解不能。
昔、ダラダラと並べられていたのは(下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる)の発想としてある程度判るのですが・・・
少数精鋭で選出したつもりでしょうが、半分は円い入れ物の缶コーヒーだったり三角の紙パックコーヒーだったり。
選出基準が判りません。
・・・と疑問を持ったのは私だけでしょうかね?
]]>あれ?今日・・・既に4日経っているって・・・(これはタイムワープ?)
とか、誤魔化そうとしたけど、そうはいきませんかねぇ?
「実は人生3週目でね・・・」とか話題を擦り替えるってのも・・・ダメでしょうねぇ。
1番良いのは「今年は毎日、異常な暑さが続いて・・・」
これはリアルで通用しますね?
でも、これは「冬に『寒い』、夏に『暑い』」と口にするのは天邪鬼の自分が自分自身に一番禁じている言葉だから使えない。
まてよ、よく考えたら「口にする事」は禁じていても「書く事」は禁じていない?
・・・の姑息さは自分らしいけど、不愉快指数99.9%の発想なので一旦考える事を中止です。
失くなった4日間の出来事を記した方が風通りが良い気がします。
本当は、娘に貰ったMacが玩具箱状態で、どんなアプリなんだろう?と開けてみただけでドップリとハマりまくっていました。
一個のアプリの操作を覚えるだけでも年単位じゃないか?と思われるのに試していたのが10種類以上・・・
という事は10週目くらいでようやく把握できるのかな?みたいな予想です。
ただ、無駄に沼の底にいた訳でもなく、そこはきちんとブログの事も考えていたのですけど。
(そっか・・・コレとコレとこのアプリで「NICHE」という英語の文字を日本語の「ニッチ」という文字にモーフィングして、それがガラスの様に砕けっ散って・・・)などと頭の中は「描画・レタッチ・音楽・動画・アニメ」アプリ総動員の妄想。
更には手をつける前から(その動画を「YouTube」にあげてそれを「ブログ」に取り込んで・・・)
ドップリ妄想の中を彷徨って正気に戻ったら4日経っていたという事でした。
結局手元に在るのはその日に用意した雲の画像2枚だけで、「何も変わっておりません」と現実だけが憐れみの表情で私を眺めて居りました。
「バカの考え休むに似たり」・・・昔の人は言い当てるのが上手い!
何て事はない雲の映像ですが、見た瞬間に(あ・ゴジラか竜みたい)とか思ったものなので。
時間差でクローズ・アップした写真です。
ロール・シャッハの解釈では私の頭はどんなん?
何に見えるかは見た人に任せて、先ずは投稿!
]]>
久し振りなのは訳があって、どう書いたらいいやら迷っていたのです。
先に記しておきますのは、同じ様にカラスの被害にあっている方は不安を増長させる恐れもがあるかも知れないので、読まない方が良いかも・・・です。
6月半ば、徒歩で30分くらいの場所に用事があって出かけた時の事です。
何時もの様にイヤホーンで音楽を聴きながら歩いていました。
後で思い起こせば(そう言えば・・・ずっとカラスの声が聞こえ続けていた様な気もする・・・)
でも、その時には音楽を邪魔する程のうるささになってからやっと気がついて(あれ?カラスが随分大声で鳴いている?)
途端に左腕にドンと何かが当たって驚き、イヤホーンを外すと3、4羽のカラスが私に向かって威嚇してました。
後ろから攻撃してきたカラスに一瞬ですが左腕を掴まれたとのだと判りました。
振り向くと直ぐ傍の塀の上で私に向かって口を大きく開けて叫んでいたカラスの姿がありました。
思わず持っていた袋を振り回してしまったのです。
これが一番やっちゃいけない行為でしたが、突然の事で反射的な反応になってしまいました。
多分その前に何度も(コッチヘ来ルナ!)の威嚇の声を発していた筈で(コヤツ、警告無視シテ巣ニ向カッテル!)と襲ってきたのでしょう。
結局、その時はカラスのテリトリー範囲から出るまで威嚇されっぱなしでしたが・・・
(子育て中のカラスは巣の傍からはそんなに遠くまでは追って来ない事は知っていました)
ところが、その日から数日経ってから、今度は全く違う場所(我が家のすぐ傍)で再現です。
最初は前の方から歩いてくる来る人の前後を2羽のカラスがまとわりついている様子が見えていました。
歩いている人はカラスを気に留めていないのか、対処方を知っているからなのか、黙々と歩いていました。
カラスの方は抜かれると1羽が先回りして前後に挟みこんで様子を伺うという事を繰り返しているのが遠目にも判りました。
後で(本当はUターンしておくと良かった・・・)とは思ったのですが、その時にはその侭止まらずに歩いていたのです。
前から来た人とすれ違いざまに今度は私にまとわりついて、気がつくと数羽に増えて私に向かって喚き立てていました。
(同じ轍は踏まない)と今度は以前に覚えた(両手を高く上げてゆっくりと立ち去る)という対処。
結局、喚き立ていただけで襲っては来ませんでしたし、角を曲がると鳴き声も止みました。
思い出したのは・・・3、4年前に朴の木「蕾〜開花」の記録を毎日ブログに画像アップし、その時にカラスの巣に向かってカメラを向けて立ち止まっていたものだからすっかり「敵」とみなされて攻撃されたという事を綴った事がありました。
さてさて、今回思ったのは「カラスは利口だから特徴を3年くらいは覚えている」という事と「その情報を他のカラスに伝える事もある」ですねぇ。
う・・・ん、今回の原因を探るとそれも思い当たりますが、近くに巣があっただけではないか?という事も考えられます。
6〜7月はカラスの子育て時期で、巣の方向を見ていただけで襲ってくると言います。
単に近くを通った所為なのか・・・数年前から指名手配されていたのか・・・?・・・今回袋を振り回して指名手配されたのか?ハッキリとは判りません。
以前から私がよく行く公園にもカラスが巣を作るような木があったりします。
雲の写真を撮ったりするのはシャッターチャンスを狙って数十分立ち止まるったりするのですが、「ほとぼりが冷めるまであまり出歩かない方が良い」というのがネット情報にありました。
「6、7月は繁殖期なので特に気をつけた方が良い」とも。
前述の「背向けて歩く時には両手をあげて万歳の格好をするとカラスは自分の羽が傷つくのを恐れて襲ってこない」もネットの情報でしたが、実証出来たので他の情報も尊重するべきかも・・・と思った訳です。
・・・で、8月半ば・・・いまだに朝から晩まで喚き声が聞こえているし、時々は(あ・・・今、誰か襲われてる・・・)みたいな数匹が一度に喚き立てている鳴き声が聞こえたりもしています。
不謹慎ですが(・・・って事は「指名手配されている?」というのは思い過ごしなのか?)なんて考えたりして。
そんなこんなで「雲」を見て歩く機会も減っていた・・・と、こういう訳でした。
この1行に辿り着くまで長かった事!
パソコンのドタバタも落ち着いてきた感じなので、この数日の窓から見えた夕焼けの写真などと共に2、3携帯の中にある写真画像をアップしてみようかな?と思いついたところです。
お墓参りの後で寄った北広島の風景です。
遠くに見える山の上には夏の雲が、高い上空には秋の雲が・・・雄大さを感じた風景でした。
その後暫くして道路越しに見えた「エスコンフィールド」
初めて見ましたが大きかったですねぇ。
帰ってきて窓から見えた畝雲もどき。
その後に見えた夕焼け雲。
また続けて雲が撮れるとイイんですけど。
]]>既に九州に上陸している6号の東側に7号として発生した様子。
「あっあの場所で発生したら北海道直撃かね?」私が呟いた直後に現在の予想で今後の進路画面が映し出されました。
日本列島に近づきつつ(矢張り北海道へ直進している・・・)と思って見ていると、最後の方で少しカープし始めた様子。
途端に我が妻、「あっち行け!」とハエでもはらう様に手ではらってました。
・・・これ、本当に逸れて「あっち」へ行ったら(エスパー?)とか思ってしまった今朝の出来事。
さてさて、前回の記事で張った伏線の回収です。
夢の様な話から、現実にMacが届きました。
夢以上に驚いたのは27インチディスプレイのMacでした。
前回記していた初代のMacよりも数倍大きく感じていた21インチのiMacがちいさく見える・・・
並べてみるとゴジラとオケラ・・・映画館と紙芝居。
それぞれ時間的にもiMac21の方ではゾウの時間が楽しめて、iMac27ではアリの時間を実感出来そうです。
机上の風景1
机上の風景2
机上の風景3
1,2番目の画像のiMacは3番目の画像では右側に引越しでした。
セット関係では半分冗談で書いた浦島太郎気分が見事に顕在化。
私のブログお馴染み「出来た」「出来ない」の無限ループは何時もの繰り返し。
娘とのmixiに日記代わりとしてさんざん綴ってきたのでブログでは敢えて「ウダウダ」は省略。
Adobeの契約では2台まで使用できるという事で、私にとって夢の様なAdobe群のアプリが並んでいました。
娘に「必要になった場合は何時でもアンインストールするから」と言い置いて使わせて貰っています。
あ・・・嘘こきました!
使うも何も「photoshop」でさえ入口で佇んでいる状態で、逸る気持ちとウラハラに全アプリ無事起動できるか否かを試しただけというのが実情です。
周辺機器との接続やら設定やら・・・やらなければならない事を先行優先にしているとろです。
一番大好きなおやつを目の前に「手を洗った?」「うがいした?」状態なのです。
しかも蛇口を捻った途端に水が吹き出して周りが水浸し・・・(おやつが遠い!)
ブログも早く更新せねばとは思っていたのですが・・・左手にバケツ、右手にモップですからねぇ・・・
おっと余計な事を綴っていたらまた伸びてしまう。
てな事で、間が空いてしまったのでご無沙汰お詫びと無事便りの投稿です・・・
]]>
先日6回目のワクチン接種を受けてきました。
今までの経験だと当日夜から次の日の夕方まで熱で寝込んでいたのですが、今回は次の朝に(少し頭が痛いかな?)程度で済みました。
前回までは「熱が出るなんて若いね」と担当者に言われてましたが、そういう意味でいうと歳相応に追いついたという事ですか・・・
話はコロンと転回した展開となりまして・・・
1週間ほど前、娘からのメールは突然に「iMac 要らない?」の一言。
「え?え?え?どういう事?」が、私の返信リアクションでした。
「電話するね」という事で詳細は電話で知る事になったのですが。
仕事上、動画作成などで使用するにはスペックが足りなくなったので新しいMacを買ったから・・・という内容でした。
思えば・・・このブログでも娘とのmixiでも、数年前から私のiMacの不具合と対処のドタバタ劇を何度か書き連ねてきた様な気がします。
加えて最近は起動に時間がかかるとか、文字を打ち込めなくなると追い討ちをかける様な物言いをしていた様な・・・
唐突な話に(あれ?気にさせちゃっていたのかな?)とオロオロでした。
ただ、「場所はあるの?」の問いに(それですな・・・)の思いも。
決断が早くて思い切りの良い娘に対して私は・・・何というか歯切れが悪いと申しましょうか・・・
今回、娘のお陰でやっと処分の決心がつきました。
考えたら色々な理由で処分の決断がつかなかった2台のiMacが机の上に鎮座ましましていたのです。
デザイン的に惚れていたという事と、娘からのプレゼントという事もあってただただ飾って置いたという形になります。
でも、余りにも古いのと周辺機器の不具合もあったりして正直使い物にはなりません。
この際・・・心を鬼にして処分!
ならば序でに永い間押入れの片隅で眠った侭になっていた1番最初に買ったパソコンも処分!
(本体だけの写真です)
我が家の歴史とも言える3台のパソコン処分の大決心!と偉そうに書いてみたものの・・・
娘がmixiでの曰く「やっと卒業ですか!?」
だよねー。
女々しく映るよねー。
でも、その後に続いた文章に
「確かにカワイイけれども((o(。・ω・。)o))
「サヨナラありがとう!(´▽`)」と
お伝えくださいな。
新しいmacライフにレッツゴー!」
背中を押され早速iMac2台を分解してハードディスクの取り出し作業。
よくネットなどで引き取り時のデータ消去に関する記事が記されています。
初期化用のソフト、データ消去ソフトもあるけどイマイチ信用が出来ない・・・
処分と一緒に業者に頼む方法もあるけど、結構な料金がかかってしまう・・・
折角無料で引き取ってくれるアップル製品なのにそれは残念だし。
一応アップルに「元どおりに組み立て直しますから、ハードディスクだけ抜き出してよろしいでしょうか?」と問い合わせてみました。
「HDだけならOK」の回答を戴いて(本当に組み立て直せるのか?)の不安いっぱいでしたが何とか無事に抜き出し成功。
それが(データーが他人に覗かれる心配の無い)一番確実な方法だとは思います。
覗かれて困る秘密なんぞあったっけ?とは思いますが、ん十年前の住所録が入ってたりしますからねぇ。
(とは言っても、多分、一人も記された住所に住んでいないとは思うのですが・・・)
それからはiMacを梱包するダンボール作りでしたが、いやー、狭い空間でやる作業ではなかったですねー。
箱は展開すると馬鹿デカイ大きさになります。
底の一辺が50センチとして底50高さ40上側50反対側の高さ40って・・・凄い事になってました。
長い間机の上に飾られていた2台のiMac・・・
過去はダンボールに囲まれて去り、空いた空間に未来が到着する予定です。
そう言えば未来はどうなるのかなんて判る筈もないのに、最近は自分の方から見限っていたところがありました。
永い期間を要する様な事は(今さらなぁ)と避けてましたし、何年後に完成予定ですなどと聞くと(関係ないなぁ)と期待する事もしませんでした。
別に病気を悲観してという訳では全然ないけど(買っても無駄にしてしまうんじゃないか?)みたいな単純に現実的というか合理的な思慮でした。
でも、本当はいつの間にか挑戦する気概みたいなものも失っていたのかもしれません。
それが今回もう1度まっさらから挑戦してみようか?というワクワクが蘇ってきました。
(判らない事こそ面白い!)という自分の原点に立ち返られた気分です。
考えると100年単位の「アントニー・ガウディー」の『サグラダ・ファミリア寺院』の建築に携わっている人たちは設計者のガウデイは勿論、引き継いで設計・施工関係者全員が完成形を見ずに生涯を終える事を知っていた訳です。
欲望には限りがないのでどんな人でも達成感の頂点で生涯を閉じるなんてあり得ない話かもしれません。
ならば(「ダメかー」は「今度こそ」に続いて「解決ー!」するも「さてさて次は?」)のワクワクの中で活きている方が豊かの頂点が続いている様な気がします。
何処で切り取られても「全然OK!」みたいな潔さは強みです。
今回の出来事は最近、結構諦めに似た負の意識に娘から「喝!」をいれられた気分だったりします。
それにしても、秒進分歩のパソコンの世界では何世代も前のOSしか知らない私が、今の世代のパソコンに太刀打ちできるのか?の話でした。
これからは「ダメかー」の時間が暫く続きそうな気がします。
次の「ご無沙汰ー」の伏線を張っている訳ではないんですけどね。
]]>あっ、早口すぎて聞き取れませんでした?
とか、真夏用のサブサブのボケた書き出しでメモっていたのは前回の投稿の次の日。
意気込んで書いたものの読み返すと(あれ?以前にも書いた様な・・・)の内容だったので半分以上のカットという寂しい結末も寒かったし。
考えあぐねてそのまま放っておいたらカビが生えていたので切り取って残った分だけ投稿しようかと・・・
3年振りくらいだろうか?家で「アイス・コーヒー」を飲むなんて・・・
それまでは毎年妻がガムシロップを作り用意しておいて、暑くなると淹れてくれるというのが我が家の”夏”の定番でした。
3年前の病気からは糖質の高いガムシロップは禁止な訳で、アイス・コーヒーも遠ざかっていたのです。
というつもりが・・・毎朝、私が豆を挽いて妻が淹れてくれる日常で砂糖代わりに「ラカントS」なるものを使用しています。
ならば、「ラカントSを先にお湯で溶かしておいたら?」との妻の提案で実験・・・ガムシロップ代替え大成功という次第でした。
思うにドリップした「アイス・コーヒー」の味は店同士という事で比べても、我が家で淹れたのを比べても、そんなに違いがない気がしているのは私だけでしょうか?
普通のコーヒーだと美味しい不味いの好みは兎も角、豆の種類は勿論、焙煎の程度などで味は別物みたいに変わると思うんですけどね。
さてさて、折角久し振りに飲むのだからとイヤホーンで大昔の喫茶店でかかっていた種類の音楽をかけて雰囲気を味わい乍ら飲みました。
「ロス・インディオス・タバハラス」の『アマポーラ』や『マリア・エレナ』『スター・ダスト』などなど。
(おー!気分は昭和!)と、一人で盛り上がっても、上記のデュオや曲は誰も知らなかったりするんでしょうかね・・・・・・
知ってるよ!と胸を張ると年齢が知れるので(心の中だけで)頷いたりして。
・・・と、「喫茶店」というキーワードだったもので、この後の記述も大昔の記事「思い出の喫茶店」の内容と殆ど同じ様な事を綴ってました。
札幌=喫茶店の街 という若い頃の思い出に没入して書き綴っていたのですねぇ・・・
同じ話を繰り返す危うさに戸惑いも色濃くなってきた今日この頃ですが、未遂に終わって良かったぁと、安堵の吐息。
その「今日この頃」に関連した出来事が先日ありました。
「北海道国民保険限度額適用・標準負担額減額認定証」と、舌を噛む前に目を噛んじゃいそうな、名前の長さだけで有難い気になる証明書の更新手続きを済ませたのですが・・
区役所の椅子で(今、客対応している窓口の人って何周目なんだろ?)とか考え乍ら自分の札番号を読み上げられるのを待っていました。
※( )の中の文章は「ブラッシュアップ・ライフ」というドラマの話で・・・見ていない方は気にする程の事ではありません。
「整理券10番の札をお持ちの方」と呼び出されて(「人生何周目ですか?」とか訊いたらどんな反応するのかなぁ?)とか気になり乍らも窓口の前に座る。
そうそう、話はそこからなんですよ。
担当者の説明が始まりました。「今回手続き戴きました証書はですね・・・」
要約して早い話がですね、*********って・・・あ、冒頭で使ってしまったボケだった・・・
私の場合、次回の自分の誕生日からは「後期高齢者」という事で保険証の扱いが変わるという内容でした。
「後期高齢者」って今までの「高齢者」からバージョンアップした様な気分になって照れてしまう。
(「ブラッシュアップ」とは言わないんだろなぁ・・・残念)とかまだこだわっていますが・・・
今回は呑気にテレビドラマなんか絡ませちゃって・・・
初めてこのブログを読んだ人は(この人、気楽に生きてるんだろうなぁ)という風に見えるかも知れませんが、これでも結構気楽なんですよ。
カビを取り払って軽くした筈の文章に無駄な脂肪分加えちゃったから・・・結果、胃もたれする様な記事になってしまいました。
時期を逃すとまたカビが生えそうなのでこの辺りで投稿!
]]>
DVDだと録画時間が短いのに録画にかかる時間が長いという事と、画質が劣化してしまう事が理由です。
(私の持っているレコーダーが古いから?今はどうなんでしょう?)
先日、レコーダーに録り溜まっていた番組を整理して(これはディスクにダビングしてから消去してしまおう)と思った筈が、在ると思っていたブルー・レイの空ディスクが見当たらない・・・
いつも使用していた「パナソニック」がブルーレイ・ディスクの生産を中止した話は知っていたので(日本製ならどこでも良いや)と思い乍ら近くの店へ。
望んでいたディスクが見当たらない!
いまやDVDにしてもBDにしても絶滅危惧種の様相・・・時代ですか?・・・
数日間思案の果てにネットで注文してみると、朝に注文したのが夕方に届いた・・・これも時代ですか?・・・
結局、件の番組は店でフラれた時点で(DVDでも構わないか・・・)と、2枚に分けてダビングしてしまった訳ですが。
番組中に引用された主だった記録の映像自体が古く、画像優先という訳でもないのかな?の妥協案が成立したのです。
番組は6月中旬に放映されたNHK放送「映像の世紀 バタフライエフェクト」
今回は「ビートルズの革命」と称して『赤の時代』『青の時代』2週に分けた特集でした。
「バタフライエフェクト」の名が示す通りにビートルズ自体の軌跡と言うより、ビートルズ旋風が起こした波紋が世界や世代を超えて及ぼした影響を描いています。
単に音楽だけでは無く、ファッションやライフスタイルなどへの影響。
階級社会、人種差別、戦争へ「NO!」を突きつけるなどの政治的な影響。
亡くなる5年前に「ジョン‥レノン」が言っていた言葉で番組が締められていました。
「僕が気に入らなかったのは僕たちが何かをリードしているという主張だった」
デビューから一挙一動が報道されて、良い方にも悪い方にも勝手な注釈やら解釈やらで本人たちの「本当」とかけ離れていった事を言ってるのだと思います。
そう言えば、「僕が適当に難しい言葉を並べた歌詞を書いたら、意味や解釈は評論家が教えてくれる」という風な事を言っていたのを思い出しました。
ジョンが実際にそうしたという事では無くて評論家を皮肉っていたのだと思いますが・・・
この番組でも取り上げていましたが「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイアモンド」は「LSD」を暗示した曲だと言われたりしていました。
名詞の頭文字を並べるとLSDだからという理由です。
当のジョンは否定していますが、本当のところは本人以外は判らない訳で・・・
その曲名から名付けられた小惑星探査機「ルーシー」が後世の人類へ伝えるべく「アインシュタイン」を始め20人の言葉を刻んだプレートを乗せて宇宙を飛行しています。
その中にビートルズ4人のメンバーの言葉も刻まれているとの事です。
中でも、メンバーの一人である「リンゴ・スター」の短い言葉「Peace and Love」は後世の人類よりもまず先に今の世界の全ての人に実践して貰いたいものだと感じるのですが・・・
おっと、脱線、番組でジョンが続けて話した言葉は・・・
「60年代は ”新しい世界を発見しに行く船” だった。
そしてビートルズはその船の見張り台に立っていただけだ。
僕たちは『Land Ho!』おーい、陸地だぞ!と叫んだ。
それだけだ」
(バタフライエフェクト番組中の引用文です。)
中学生の時に虜になったビートルズ。
そのデビューから私も「バタフライエフェクト」を受け続けていました。
唐突ですが、DVD用のラベルを作りました。
サブタイトルも記していたので内容が判り易いかも。
(※ 一応画像クリックで拡大出来る仕様にはなっていますが、意味は無い様な)
(引用画像の著作権・肖像権は、放送元に帰属します)
・・・結果・・・黒インクの消耗を考えていないデザインでした。
それに私のプリンターでの印刷は、赤も青も思い通りの色では印刷されない訳で・・・
パソコン画面で見る分には問題無いんですけど。
判っていても見た目鮮やかなRGBで作ってしまうんですねぇ。
まずは、7月最初の投稿です。
]]>
こういう騒音は確かに 「うるさい」とは思うものの、迷惑とは感じない。
腹がたつ騒音はこの時期「バリバリバリ」と態々大きな音で走り回るバイクの音とかですねー。
”音”そのものより自己満足のためだけに周囲の迷惑を顧みないという行為自体に腹がたつのかも知れない。
・・・とか言ってはみたものの・・・
若い時代にステレオ(死語?)ガンガンの大音量に大家さんが「私は好きなんだけどねぇ『うるさい!』って苦情が来たらねぇ・・・」
多分続く言葉は(立場上、言わなきゃいけないのよねー)だと推測され、嫌な役目をさせてしまった事に申し訳なさ一杯という過去を持っていたりする。
と、それが2度くらい・・いや3度くらい・・:あ。。。何度もくらい・・・
「反省してたのか?ほんとうに!!」とタイムスリップしたアカツキには本人をビシビシ叱ってやろうと思います。
音って脳と可成り関係が深くて、本当は毎日聞こえていて筈なのに脳の知覚というか、認識の問題なのだと以前綴った記憶があります。
大抵は右から左に受け流している(勿論、左から右へでも良いのですが)・・・
ところが集中すると沢山の音の中から欲しい音だけを嗅ぎ分ける事が出来たりします。
"耳"で("嗅ぎ"分けるって・・・?)と無駄な合いの手、今回は要りません。
その音が邪魔だと感じたりするとイライラに繋がるし、好ましいと思えばポヨポヨの癒しにもなる。
結局、何が言いたいのかというと、本当はそんな事はそれ程考えていなかったりするのです。
気がつくと本日6月最終日、(何か書かねば!)とパソコンの前に座ると建築作業の「ゴンゴン・ガンガン」音が聞こえてきた。
それだけですね・・・
小さな頃は「空想好き」との評価がありました。
現在は只々「妄想好き」の自覚に変わってます。
よし!このオノマトペ、貰った!と発想を飛ばし、妄想経由で6月最終記事到着です。
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか?
]]>
前回の記事を読んでいない方は何の事か判らないでしょうが、判らなくても全く支障がありませんし読む必要も無い記事でした。
現状を書くと、前回の記事が成功裏に進んだなら前々回の記事の改行修正するつもりだと綴っていたので、本日(3月16日)実行して修正完了しました!というだけの話です。
前回の記事を読んで下さった方へのその後の報告としては(こうなったら全部HTMLで作業する事も辞さないぞ)の決心で臨んだ結果・・・
何事もなかった様に書き込み画面もプレビューも以前の様に問題なく機能してました・・・という結末です。
(今までのトラブルは何だったんだ?)とは思いますが、先ずは良い方へ展開している訳なので結果オーライと無理矢理納得。
先ずはトラブルは無事に解決したので、いっときも早く最新記事へと更新し(思い出したくもない前回の記事)に覆い被せてしまおうと目論んでの投稿という事です。
今回の一連の流れ・・・「アンソニー・ホプキンス」の『ファーザー』という映画を思い出していました。
認知症になり始めた父親(A・ホプキンス)サイドからの観点で描写されているので見る人は追体験というか疑似体験というか・・・
突然登場した人が、覚えが無いのに娘だと名乗ったりするので一緒に混乱させられる構成なのです。
観ていない方の為に詳細は書きませんが・・・
この2、3日の出来事はまさに、そんな気分でしたねぇ。
私にとっては(何で?)(何で?)(何で?)の繰り返しでしたから。
今でさえ(実は間違いなんて起きていなくて自分がそう思い込んでいただけじゃないのか?)の疑問を全否定出来ない・・・って、夏なのに涼しく感じている始末です。
あ???本日、札幌は27.3℃だったとか・・・無料で涼しく過ごせるなら「有難や!」ってな話でしたか。
]]>
「ウダウダ」 文に興味のない人は次の行からの文章は読んでも時間の無駄!と先にお断りしておきます。
さてと、読み進めてる人で前回の記事を読んだ方にはお詫びと訂正のお知らせです。
二行の「間」が空いて間の抜けた(あれ?間の増えた?か・・・)読みにくい記事だったと思います。
この文章が記事として無事に掲載されたと言う事は「成功」の証しとなり、その後同じ方法で前回の記事の改行訂正を行いたいと考えているところです。
前回の記事は改行を直した後に間違い文字を訂正しただけだったので投稿後の「プレビュー」確認しなかったのです・・・
それが間違いのもと、次の日に改めて「プレビュー」して見ると改行はされていたものの二行分に増えてました。
何故そんな事になったかの経緯は矢っ張り「ウダウダ」から始めるしかないのかと・・・
誰に?って、結局自分の為にですかね・・・ただの退屈記録という前回の記事で避けた事を実行しちゃいます。
という訳で、この後の太字の行が前回記事、差し替前のボツにした記述です。
ただし、ぼやき、恨みがましい描写、或いは「どうよ!」的な部分はカットして作業内容だけの記述にしました。
いつもの調子で下書きをコピーしてブログの記事投稿画面に貼り付けようと思って作業。
管理画面の文字書き込み画面でカーソルが点滅し始めたらクリックし「ペースト」でOK。
・・・の筈が、肝心のカーゾル点滅が無い・・・
暫く待っても変化が無い・・・
よーく見るといつも使用している「リッチエディター」にNEWのマークを発見。
(6月最初の投稿の時にそのマークってあっただろうか?・・・)
問題なく使用できていたし・・・注意を払っていた訳でないので覚えていない。
その下に「※」に続いて「正常に動かない場合は以前のバージョンをご利用ください。」と書いてあった。
正常に動かないので、注意書きに従って「以前のバージョン」を開いてみるとカーソルが点滅したので安心してペーストしてみると・・・
あれ?改行も無く文字が団子になっている・・・
一応「。」で改行したり行間を開けたりして「下書き保存」
からの「プレビュー」(公開後に読者がみる事になる画面)
文字が団子・・・
もう一度書き込み画面に戻って見ると
さっきの作業はなんだったんだ?・・・調整した筈なのに文字が団子。
投稿記事を消去して、新規投稿として同じ作業をすると・・・団子。
その日の時点ではブログサーバーが「リッチエディター」をアップデートしたから?と考えた。
対応機種やOSを調べると自分が現在使用している「サファリ」のバージョンは対応外。
仕方なく納得してみたものの、もう一個のブラウザ「Firefox」は最新版なのだからとこちらでも実験してみた。
文字書き込み用のカーソルは矢張り表示されないし、全く同じ作業を繰り返すも結果は同じ・・・
それでその日は諦めて、次の日にもう一度最初からやり直し、(どうやら成功かな?)と思った時点で更新してみた。
のが、前回の「羊が一匹、羊が・・・」差し替え前の記事です。
投稿少し前に「プレビュー」を見ると改行されていて、成功は確信したものの間違えた文字があったので
訂正しようと思ったのです。
管理画面の文字書き込み画面に戻ってみると又々団子になっていた!
もう一度改行作業をして、文字を訂正しただけなのでプレビュー確認をせずに「公開して更新する」というボタンを押してしまったのです。
結局二行の間が空いてた訳ですが・・・理由は?を探りました。
書き込み方法は「リッチエディタ」の他に「シンプルエディタ」というエディタが準備されています。
簡易HTMLという感じで、最低限必要なプログラム言語との併用という体裁です。
確かめて見ると文章の終わりに「 」と、改行を促す言語が記されていました。
何故「<br>」じゃないのか私の知識では考えが及ばないのですが・・・
それは別にして1行下に更に「<p> </p>の記述を発見・・・犯人はコイツなのかな?
「下書きとして投稿する」にして、その下書きを次に呼び出した時に文字は団子になって表示されました。
「だから」という事でもう一度改行をやり直すと「プレビュー」では改行が増えている事になります。
これは相手側のバグなのか?とも思いますが自分のパソコンが古いので何とも確定し難い・・・
ただ、はっきりした事はMac純正の「エディタ」で下書きした文章をコピーしてブログサイドの「エディタ」にペーストしても団子になるという事。
なので、ペースト時に改行作業を行なってそのまま「公開して更新する」ボタンを押すしかない。
改行訂正後に「下書きとして投稿する」で下書き保存した場合は、もう一度呼び出した時に見た目が団子になっていてもプレビューでは改行が反映されている。
・・・筈。
だから判断しようが無いややこしい事になっていますが。
確かめるには「シンプルエディタ」で言語の記述を探し出すしか無いと感じています。
それをこの記事の投稿で確かめようかな?と思い書いています。
この記事が自分の思う様に改行されて公開されたとしたら成功な訳です。
前回の記事の訂正については多分「<p> </p>」の記述を消していけば何とかなるのでは?と現時点での楽観的推測です。
それにしても今度からは「シンプルエディタ」で記事を書く事になるとかなり面倒くさい事になり、今まで以上に更新の「間」が空く事になりそうです。
私はこうして書く事によって色々頭の中が整理できるという意味もあって綴っている訳ですが・・・
ここからは更に次の日の記述です。
さてさてさて、上記の記事を書き終えたその夜に(どうせ実験するのなら数行で実験してみた方が効率よいのでは?)と考えました。
結論から書くと実験結果には(あらら??)の問題無しです。
NEWの「リッチエディタ」が使えないのは変わらないものの「団子」が解消されてました。
文の終わりの改行は「<br>」なっていました。
ただ、Macの「エディタ」で書いた実験の文章をコピペした分は改行が「 」だった・・・
・・・って事は判ったけど、何故ダメになって団子になり、何故急に団子にならなくなったのかは原因不明なので一番良く無い解決だとモヤモヤ気分。
「ウダウダ」で始まり「モヤモヤ」で終わってしまった・・・
この行まで読んだ人居ます?
「読んだよー」という奇特な方は白いハンカチを振ってみて下さい。
「ありがとう」と「お疲れ様」の言葉だけですが・・・居ります?
この後、実験で非公開にして投稿した記事を消してしまおうとしたら「エラーで出来ない」って・・・もう、訳が判りませんてば。
・・・と書いて「下書きとして更新する」ボタンを押して閉じ、暫くしてから更新の為に開いたので試しにもう一度トライしてみると今度はスンナリ消去出来たって・・・う・・・ん、完全に遊ばれてる?
「・・・という記事を書いて投稿しようとしたら今度はブログのエディタが受け付けない・・・
色々チャレンジして結局は旧エディタでの投稿までこぎつけた訳ですが、「ちょっと、訳わかんない」状態です。
果たしてどう表示されるのかもわからない状態ですが、先ずは投稿してみます。」
投稿後は原因を探るべく様々な方法を試しました。
その手順などを「挑戦→未解決→違う方法で挑戦→未解決→」のループを事細やかに説明文を書いてました。
以前にもよくやっていた様な自分向けの記録ですね。
50行近くにも及ぶ「ア〜タラ・コ〜タラ」ウダウダ文章は当事者じゃないと退屈極まりないと判断して全カットです。
要約すると「ブログ・サーバーが突然エディタをNEWした様で、色々なアプローチを繰り返して何とか成りそうだけど面倒になった。」
この1行で済む話で、結びが「古いモノはドンドン淘汰して超便利な世の中へ邁進中という世界の話です。」と、お馴染みの構文でした。
そんな話よりも、折角撮った雲の写真の方が楽しく見られるのではないかと考えた訳です。
(※ 画像はクリックで拡大できます)
昨日、ウォーキングを兼ねて買い物に出かけたのですが、店を出ると面白い風景が広がっていて・・・
子羊の群れと親羊・・・この組み合わせが空一面!
本当はもっと沢山撮りたかったのですが人通りが多くて(空に向けているとは言えカメラを向けられた側の人には誤解されそう・・・)と遠慮してしまいました。
帰り道の高架橋の下から見上げた空です。
俳句の「夏井いつき」先生から「凡人!」とか言われそうな構図。
でも、好きなんですよ・・・って、だから凡人なんですかね?
「才能なし!」の声もありそうですが、耳を塞いでるもんでして・・・
行数は短くなっちゃっいましたが、七転八倒奮闘記よりものどかな気分を味わえるのでは?と。
代替え記事の差し替えの是非・・・判定や如何に!
あ・・・差し替え前の文章カットしてたから比べられないのでしたね。
以前なら考える間も無く公園へ出かけていた・・・
(そっか、行くべきか)とiPhoneにイヤホーンを差し込んで公園へ。
結局、朝と夕方の2度公園へ赴き、暫くベンチに座って雲の変化を眺めたりしていました。
朝の写真
夕方の写真
何が違うかというと、グランドに映る木の影が伸びている・・・と、それだけだったりなのですが。
他にも朝夕、公園の同じ場所から撮った写真。
待っていたらレンズ雲になるのかな?とチャンスを狙っていましたが、結局思い通りにはなりませんでした。
話はコロッと変わって「北海道100年記念塔」の話です。
厚別区の森林公園に1970年に建てられたモニュメントで、北海道開拓100年を記念して建てられたと聞いています。
最近、解体の決定がなされた途端に今まで知らなかった事実の報道を新たに見聞きしたりします。
北海道先住のアイヌの人たちからみると開拓=侵略や迫害の歴史であったという事ですね。
その意見に建設時には「アイヌ民族の慰霊碑も同時に建造します」という事になっていたという話です。
でも結局、慰霊碑は予算の関係で先送りになったままでの解体となった訳でした。
しかも今回も又、維持費よりも取り壊した方が金がかからないという予算の関係での解体決定の様です。
建設時のコンセプトなどはどこへやら・・・
つまりは未完のままの解体という事になった訳ですが、道民に賛否を問う事も無く決定されたという事も何か釈然としない思いです。
と、まあ様々な感情を持つ事になりましたが、その塔は厚別駅からガラス越しに遠くの方に見えていました。
私はこのモニュメントのデザインに魅せられていて、昔から姿が見える度に写したりしていました。
前置きはこのくらいとして。
2030年、今年の1月に写した時には全景を保っていましたが・・・
上の写真の塔部分をアップです。
3月に写した時にはクレーンの姿が映っていました。
ガラスを通してなのでシミなども映り込んでいますが・・・
上の写真の塔部分をアップです。
そして昨日、6月2日に見た時には半分になっていました。
上の写真の塔部分をアップです。
北海道博物館 公式ホームページに載っている文章を引用すると・・・
「北海道を築いてきた人びとの苦労に感謝し」という(アイヌの人の問題があるにせよ)過去の歴史を語り。
「未来への限りない発展を象徴するものとして」という未来への展望が記されています。
全国からコンペで選ばれたという私が大好きだった塔のデザインの形状の趣旨でも「上空に向かって無限大の高さで一点に交わる二次曲線は、未来への発展を象徴しています」という風に説明されています。
次に駅へ行って眺めたガラス越しの景色にその未来の象徴とやらは馴染んだ風景の中に姿を消しているのではないだろうか?
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Macはさすがのバディ!
私の「やる気の無さ」を察して、更に上を行く「やる気の無さ」を示して付き合ってくれています。
起動時の「やる気の無さ」はいつも通りなので暫く放っておくのですが・・・
起動後も文字打ち込み可能状態まで2〜3分以上のフリーズ状態で無気力を誇示してくる。
やっと入力を促す点滅が始まって一文字打ち込むと「お待ち!」のレインボーカーソルがクルクルのループ。
漢字を打ち込もうものなら変換が終わるまでインスタントラーメン3杯は食べられるし。
ひらがなで打ち込んでいるのに頑としてローマ字表記以外に表示しなかったり・・・
仕方なく「ことえり」を諦めて「グーグル」を使うと、ある文字だけ頼みもしないのに丸枠付きだったり。
「1」と打ち込んでいるのに「?」以外に表記する気は全く無い。
私は?というと焦りも怒りもせずに淡々と椅子に座って待ち続けていたりして。
(お前サァ、見事なやる気の無さだよねー)
と、互いに思っているのかも。
と、こんな内容だったし、前回投稿の文章と同一性が無いのに無駄に長くなるのでカットしたのです。
それが何故今頃?・・・と、思うんですが・・・
最近は身体の調子が随分回復した様な気がするのです。
すると、どうでしょう?いつの間にかMacの調子も回復しているのです。
バイオリズムが一緒なんでしょうかね?
それとも或る種の波長がシンクロしてるとか?
こうなるとSFめいた話の様だけど、不思議と今は殆どストレス無しに使えています。
昨年、年賀状を描いていた時にはずーっと(せめて描き終わるまではもってくれ!)と思い続けて無事年が変わりました。
今度は(だったら序でにせめてホームページの更新までもってくれ!)
今でも何かの作業が途中の時には(せめてこれが終わるまで・・・)って。
段々その頑張りが気の毒な様な気はしてはいるものの私は随分助けられています。
朝、目を覚ますと(おう・・・目が覚めた)と思う自分がいて。
スイッチを入れて(おう・・・起動してくれた)と思うMacがいて。
5月が終わったので記しておこうかな?の文章。
先日、救急車を覚悟するほど腹の痛い日がありました。
妻に突然に備えて服などの用意を頼んで様子をみていました。
結果、嵐は通り過ぎたという事なのですが。
それにしても4月中旬から調子が悪くて5月も殆どため息の中に居ました。
その、ため息の表現をアレコレ考えていた時に(以前同じ経験を記した様な?)と何となく思い出して過去の記事を調べてみました。
「(画)病院発10の1(深井国)」という記事で語っていましたネ、初めての抗がん剤による副作用で倦怠感を感じていた時の綴りでした。
記事を読んでいる内に更に思い出した事がありました。
「手術の成功か否かは5年間再発しなければ成功と言える」だとか、私のステージの場合では「5年後の生存率は2分の一」などと「5年」がキーワードになっていた様です。
結局、次の年に転移がみつかって5月と11月に2度手術を受ける羽目になった訳ですけど・・・
最初の癌発見が2018年の5月で、転移発見は翌年の5月でした。
先にその事を知って調子悪かったのならメンタルの所為?とも思えるんだけど、後で調べて判った事なので(5月は厄月なんだ・・・)という勝手な合点と、今年の5月が癌5周年記念(?)だったという感慨ですかね?
入院中の記事が何故か一番活き活きしてるなぁーと感じたりもしましたが・・・
本日、6月1日、調子を取り戻してきたし、厄の5月を超えたという事で目出度いのかな?なんて思ったりして記事にしてみました。
]]>最初の3日 朝からほとんど「頭痛いし・・・少し寝る」と布団の中で過ごしていた。
それでも3度の食事は欠かさず起き出してくるほど食欲はあるのだから全く心配はしていなかった。
心配そうに妻が訊く、「頭ど〜う?」「ん?頭・・・良くなったよ、昔は悪かったのにね」
ゲラゲラ笑い乍ら「こら!」
さて3日目
ひっさしぶりにマックを立ち上げるとネットが繋がっていない・・・
妻に「風邪うつしたのかな・・・Macも調子悪いみたい」と云うと「あ・・・ねっ、私のiPhoneもwi-fiの表示出なくて繋がらないんだよね」との答え。
気にして見たことはなかったのだけど自分のiPhoneを見てみると確かに!
は〜い、何の事は無い(・・・って事はルーターかぁ!)リセット致しました。
Macも無事にネットに繋がりましたとさ。
・・・ここまでの記述は先月の話・・・
冒頭に「この1週間」とありますが、最初に具合が悪かったのは4月の21日の事です。
この記事以降も・・・
冬期間に全部使い果たしてしまったのかなぁ?
今月に入るとかなり足りなくなった気分でいるんです・・・空気が。
誰か私の分多く吸ってません?と猜疑心。
3月の定期の検診時に、「肺気腫が疑われる検査結果の数値が在るので」と渡された吸入器。
「テリルジー」なる吸入用の機器を1ヶ月試してみた。
呼吸が楽になったとの実感は得られなかったのに、声が完全にファルセットになってしまっただけとの手応え。
4月の受診時には「症状の改善が感じられないし、声がその吸入器の所為か試しに一度止めてみたいんですけど」と言って吸入を停止した。
などと追加の文も書いていたのだけど・・・
タイミングが丁度の事だったので、その事がダメだったのか、或いは何かしら他の病気だったのか・・・?
前述の状態となって一進一退を繰り返していた。
更年期障害?
自律神経失調症?
どちらにも思い当たる色々な症状が断続している中で、空気が足りないという事は変わらずに継続中。
5月の受診から、もう一度吸入器を使い始めたものの現在のところ、息苦しさには何の改良も見られない。
なのに、声がまた「変声期?」と思うくらいの変わり様・・・
そういえば喉仏が出てきた様な・・・というのは痩せた所為で、70過ぎの変声期って「どんだけ遅いんだ?」という話だし。
気分を切り替えて、(サッ、大きく深呼吸でもして!)と思うのに大きいも小さいもその深呼吸自体が出来ない。
ため息らしいものは出るけど・・・大きく息を吸い込もうと思っても1秒でため息に変わる。
毎日のため息が積もって足の踏み場も無い状況の中で、そのため息を蹴散らしてマイペースな生活を続けてくれる妻のたくましさは有難い。
「喋る」どころか「相槌」さえも面倒くさいし、「動く」のも「考える」のも面倒くさいので話し相手にもならずにため息を巻き散らかしているだけの日々だった。
「気鬱のため息ではなくて息切れのため息だから」と前置きはしてあったものの、普通は一緒になって滅入ってしまいそうな状況かと思うに、こんな時「B型」気質には救われる。
ただ、状況に流されて「だから何もしない」という事にならないのが天邪鬼の私の良いところで、逆に(したい事はしなくて構わないけど、しなければならない事までしないのは違う!)と無理やり「動く理由」探し・・・
しかも、天邪鬼の本領を発揮して世間ではゴールデン・ウイークが始まった時期に、外側も含めて家中の窓掃除決行!
ならば、序でに換気扇も・・・だったらレンジフードだって・・・と日替わりで掃除三昧。
その内、無用な物を解体したり改造したり・・・その為の材料を買いに出かけたり。
「じゃー、全然元気じゃないですかぁ!」の行動力ではあったけど、1アクションに付きため息3回だから胸を張れない。
その分、「好きだから続けていた」ギターやピアノは殆どストップしてしまっている・・・「しなくちゃいけないリスト」を定義したものだから「ギター弾いてる場合か?」の自問がある訳で・・・自分でも厄介な気質だとの自覚症状があったりする。
「元気?」と訊かれたら「元気だよ」と応えられる範疇とは思っているけど、ブログの更新をこんなにも億劫に感じていたのは自分でも呆れているし、後ろめたい思いが続いていた。
無理矢理書いている文章感ありありだけど何とか更新・・・
実に45日振りの投稿・・・ご無沙汰していました、お久し振りです。
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窓の外を眺めて(しまったー、チャンスだったかもしれない・・・)と思う雲景色が多くなった気がします。
真っ赤な夕焼けや雲、妖しげな雲・・・夏や秋を先走った様な雲を見かける事も多くなりました。
以前なら何をしている途中でも最優先順位の選択肢でiPhoneを握り公園目指して駆け出したものですが・・・
(多分、着いた時には望んだ景色で無くなっている)という繰り返しの経験が成せるワザか。
或いは単純に(億劫になった)という気力の問題か・・・だんだん腰が重くなっているという実感です。
昨日はたまたま買い物をしようと外へ出ると空全体が畝雲で覆われているという不気味な景色に遭遇。
取り敢えず(電線や建物がカメラの視角に入らない場所・・・)と探しまわって写した2枚です。
左端の光・・・実は太陽の光で、これは写真映りの方が絵になった様です。
2枚とも電線を避ける為に殆ど上向きに写していますが、空全体がこの景色って・・・不気味ではありましたね。
久しぶりの雲写真掲載・・・
啓蟄過ぎてひと月になろうかというもの、そろそろ私もiPhone片手に這い出さなくっちゃ!と決心したフリの今日この頃です。
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トラブルは今月の半ばに電話機を買った事から始まります。
買い替えを思いついたのは留守電機能が無かったり、スピーカー・ホーン機能が無かった事が主なのですが、ついでに今流行りの詐欺対策も兼ねると「一石数鳥」になるとの流れからでした。
今まで何度か記していましたがサポセンを利用させて貰う事が結構多かったのも理由の一つでした。
その都度に巻いてある5、6メートルくらいの長〜いコードを伸ばしながら隣の部屋まで電話機を運んで用意したりして。
スピーカー・ホーン機能が無いので、操作に両手を使う時には受話器を耳に当てて肩で押さえ乍らという「ある ある」光景。
ディスプレイ表示の無い古い電話機だったので、受信音が鳴ると取り敢えずは出るしか無いというのも今の時代には危うい。
・・・という諸々の事情で購入決定!
買ってからマニュアルを読むと、相手の番号を表示する「ナンバー・ディスプレイ」というのはオプション・サービスだったのですね・・・
漢字など氏名表示は自分で打ち込むのは当然と思ってはいたものの、相手の電話番号表示もだったなんて・・・知らなかった。
(何故最初からそうしていないのか?)の素朴な疑問は、私の購入前の電話機の様にディスプレイが無い機種と同じ基本料金だと逆に不公平になってしまうから・・・という事を知り・・・納得。
ナンバーディスプレイ・サービスは「契約申し込みが必要」との記述があったので当然申し込みをしました。
早速NTTに電話すると「その電話番号では登録されていません」といきなり全く想定外の回答・・・
「え?あれ?固定電話の話ですよね?」(どういう事?)も(じゃー、どうしたらいいの?)にも「登録されていませんので・・・」の答えしか返ってこない・・・
現代は親切が仇になったりする時代・・・余計な事は言えないのかも知れない・・・と狐につままれた様な気分のまま電話を切った。
あれこれ無い知恵を絞り出すと(そっか、光電話にしたからなのか?)と思い当たった。
当たったついでに(当たって砕けろ)の「ソフトバンク光」サポセンで無事に話は通じた訳です。
・・・が、切り替え工事に数週間かかるとの事で、その工事自体はソフトバンクからNTTへ依頼するシステムの様でした。
ならば、工事を待っている間に先に済ませてしまおうと思ったのが電話帳機能なるものへ名前の打ち込みです。
接続してしまってからだと100パーセント操作ミスで相手にかかってしまうという揺るぎない自信がある。
それにしても面倒な作業ではありました。
例えば「(小野)」と打ち込むには、『0』を14回、『1』を5回、『5』を5回、『0』を15回ボタンを押す訳です。
面倒くさ〜い!・・・嫌いじゃ無いけど。
その後で読み上げ機能というのを試すと、「○○○さん」と読み上げてくれるものの・・・どこの国の人?と怪しむ不思議なアクセント!
それを一人一人直して・・・という面倒臭さ・・・ハイ、嫌いじゃ無いけど。
さて、そんな作業の中、切り替え予定日の通知ハガキが届いて「29日」に工事との事でした。
そして当日。
朝、先ずはコンセント類を整理して・・・昼近くに、いざ接続!
自分の携帯から自宅にかけてみた・・・アレ?
折角打ち込んだ名前がでないどころか電話番号も表示されません。
(まだ工事終了してないのかな?)と思いつつ、夜にもう一度試してみるも・・・アレレ?
次の朝(通知通りなら30日の今日なら間違い無いだろう)と試してみるとアレレレ?
最後の頼みは9時まで待って得意のサポセンです。
経験から、チャットは全然要領を得ないし、メールの回答はサポセンで解決してから4日後という事がありました。
電話機メーカーのサポセンの答えは、全て処理は間違い無い事から考えられるのは工事が終了していないか、或いは何かの事情で切り替えが終了していないと推測されるので「ソフトバンク光」に問い合わせて欲しいとの事でした。
「ソフトバンク光」に問い合わせてみると「通知通り予定日にNTTで完了している筈・・・」と言いつつも、調べてみるのでお時間を下さいとの事。
「筈」というのは、まれに何かの都合で工事が終わっても切り替えがなされていない事も可能性としてはあるのだとか。
暫く待つと「工事自体が終わっていたとして・・・」ならば、切り替え処理を自分で試してみる?みたいな話になり、勿論「やってみます」の返事をして、携帯にかけ直して貰ってから指示通りに進める。
「米印を3回・・・次に数字の・・・次に米・・・数字の・・シャープ印を・・・」やたら長い指示が続いて打ち込み完了。
その後、「自分の携帯から自宅にかけて戴きたいので1度切ってから数分後に掛け直したいと思います」との事。
携帯からかけてみるとディスプレイに自分が打ち込んだ名前の表示が出た。
しかも名前を呼びあげてくれる・・・(知ってるよ、自分がかけているんだから)
数分後サポセンから「如何でしたか?」の問い合わせがあり、成功した事を告げ、お礼を言って終了!
結局、工事は済んだものの切り替えが済んでいなかったって事でしたか・・・
電話機を接続直後から(どうした?どこを間違った?)と、何度も何度もマニュアルを繰り返し隅まで読んで、アレコレ色々な操作をした時間のロスや精神的疲労困憊をどうしてくれる!?
「嫌いじゃ無いんですよね?」と返されそうなのであくまでも小声でですけどね。
そっか、今はディスプレイ表示の電話機が普通なのだろうし、みんなこんなに苦労していたんですかぁ・・と今更の実感。
始めてから11年になろうとしている私のブログの半分はトラブル奮闘記の記事だった記憶ですが、最近はあまり書いていない様な・・・
久しぶりに頭を使った実感・・・懐かしい感触でした!
]]>毎年、この日だけは記録の為にも記事にしない訳にはいきません。
多分、昨夜に降り始めた雨で昨日中に「ゼロ」にになったと推測するも、確認はしなかった訳で・・・
多分、2日間の午前中のWBC野球中継が無かったらもっと早くなっていたのでは?とも思っています。
暖かくなるという予報の2日間に(午前中に雪崩しを済ませたら溶けるかも)とは思いつつの野球観戦・・・
22日、札幌は3月の最高記録温度だった様です。
その日、「侍ジャパン」が決勝戦でアメリカに勝って世界一の座を奪い返しました。
プロローグとして大谷とトラウトが騎手として球場へ登場。
エピローグとして大谷とトラウトが9回、ツーアウト、3ボール・2ストライクから最後の1球の勝負。
通常ではあり得ない(もし?)の夢だった「エンジェルス」の同僚対決。
この数日の報道は「漫画や映画の脚本だと絶対「ボツ」になるほどの出来すぎたシナリオ」だという経緯と結果。
現実離れの劇的シーンがクライマックスとして用意されていた訳でした。
大谷選手が自分の写真の看板にホームランボールを当てた時から出来過ぎ感はあったのですが。
思うに・・・逆に、漫画家は「何を書いても許される!」と居直りやすくなったのでは?とか思う訳です。
記事用のメモや下書きはしていたのですが、連日の報道で繰り返し語り尽くされた感があるのでわざわざ記事で語る事も無くなってしまった様です。
そんな状況の中で野球中継が終わると大慌ての雪崩しが2日続いて、昨日「ゼロ」の手応えを掴んだ訳です。
昨年の記事では恨みがましく「『我が家の積雪ゼロ宣言』・・・は昨日(2022/4/10)」と綴っていました。
今年も(昨日の筈・・・)とかは思ったのですが未練たらしいのでやめました。
それにしても、半月以上も早かったのは驚きです。
今朝、雪が無い事を自分の目で確認すると同時にあらためて思いました。
「お帰りなさい、北海道の汚い春!」
本日は冬の化粧落として見やすい春の顔にしなくちゃです。
・・・と、ここまで書いて「掃除終了!」を書き加える予定で外へ出ると、うっわ!強風!!
雨上がりの濡れたアスファルトにへばりついた枯葉をやっとの思いで掃き取って塵取りですくいあげた瞬間に舞い上がってしまう。
最初は、濡れているとやりにくいのは判っていても(乾いていて埃が舞い上がるよりは良いだろう)と思って始めましたが・・・断念。
無駄な事はさっさと諦めて、先ずはこのブログを仕上げなくちゃ!と戻ってきたという訳でした。
さてと・・・更新!
]]>「・・・さて、沈黙は金」
とか気取りたいけど、「ならば最初からブログなんか始めるな!」って事でした。
・・・という序文の記述。
前回、今年2月の記事の序文も
「さて、沈黙は金」
「男は黙ってサッポロビール」
・・・とか気取っていたら後頭部にフライパンの音がしそうです。
と・・・2月の定番フレーズとして定着した沈黙への繕い。
単に投稿しない後ろめたさに後付け理由でどうしても気取ってごまかしたいんでしょうかねぇ?私は。
さてっと、三月・・・
1日から「弥生三月 泥飛沫」といった様相でした。
本日、3月3日は「女の子の節句」
これって、現在の流れから想像するに、軈て廃止論が出るのかなぁ・・・との想いも。
「男の子の節句」も同類ですが、もっと言えば「母の日」、「父の日」も。
最近問題になっている「LGBT」との兼ね合いを鑑みるに・・・という事ですね。
「色々な人が居て良いのに」と思っている一方で、世の中が真意を離れて言葉狩社会の様相を呈してきている危うさも感じます。
LGBTと言えば・・・(と、こじつけがましく話を展開する姑息さ健在です)
随分早くからカミングアウトしていた「Sam Smith」が、2月中「BEST HIT USA」という番組で長い間上位をキープしていた曲がありました。
「UNHOLY」という曲ですが、旋律や歌声が1度聴いてからずっと耳に残り、思い出し乍らギターでナゾってみて発見した事がありました。
(これは確か・・・)と思い当たる音階をiPhoneの「GarageBand」で探り検証実験です。
結果、「クレツマー」音階だという事を確信しました。
「アラビアンナイト」というか、中近東的な響きの音階です。
「UNHOLY」は曲が耳に残るどころか、歌詞も危なく、怪しげな映像も脳裏に1度で焼き付いてしまう程の不気味(私としては最大の褒め言葉です)な作品でした。
不気味といえば、(と、更にこじつけがましく話を展開する鉄面皮さも健在です)話は飛びますが矢張り音楽の話。
メンバーの「Fukase」は、以前から或る種の気味悪さで気にはなっていました。(これも褒めているつもりです)
昨年のレコード大賞は「SEKAI NO OWARI」だったという事は何かの媒体で知ってはいましたが、興味が無かったので受け流していました。
そもそもデビュー当時から(奇をてらった様なグループ名やピエロの格好のメンバー)というイメージとは随分かけ離れた曲想や声質・・・
そのギャップに違和感を持って、その後も真剣に聴く事が無かった・・・
それが最近、歌詞付きの映像で大賞受賞曲「Habit」を観る機会があったのです。
最初に音声だけで聴いていた時にはラップ風に韻を踏んだ言葉が逆に聴き取れずにいたものだから素通りしていたんですねぇ・・・
歌詞を追い乍らじっくり聴くと、軽くあしらわれている風で自虐的な心地よさを感じたりして。
聴き終わった時には何とも洒落た歌詞や、計算された歌い方にすっかり聴き惚れていたのです。
今では映像のダンスの薄気味悪さも含めて大のお気に入りとなっています。
(後で調べて「世界の終わり」をグループ名にした経緯や「Fukase」の個人的体験を知るにつけ、上記の様な先入観や勝手な感想を抱いていた事を恥じ入る結果とはなっていますが・・・)
結構思い込みから食わず嫌いという事が多くて、後で(早くから聴いておくと良かった)と思うケースも多々です。
取捨選択しているつもりでも先入観やその時の気分などで大事なものを見過ごしている事の方が多いのでしょうね。
結局、何を書きたかったものなのか・・・
良い子のみんなー、人参を嫌わずに食べましょうー!って事ですかね?
・・・今だに苦手なんですけどネ。
]]>「男は黙ってサッポロビール」
・・・とか気取っていたら後頭部にフライパンの音がしそうです。
懲りもしないで相変わらず更新しないこのブログ・・・
言い訳探しの期間があまり永いと居直り経由自爆行きが危惧されますし。
最近はギターもピアノもご無沙汰で・・・
思い出した様に弾く時、頭は忘れてしまっても、指が覚えている事で「如何に普段が大事なのか!」と、痛切に思い知らされたりしているのに、その普段が崩壊しまくってました。
なのにですよ、パソコンのキーボードに手をかぶせ乍ら(文章が浮かばない時に指が勝手に文章を紡ぎ出してくれたらいいのに)と都合よく考えたりして。
いやいや、普段から書いていない要求を指に求めても「最初から覚えてもいないもの、一体どうせと?」と全面ストライキされると可成り拙い。
文字から目を離した途端に周りがボケボケになってしまうので・・・と、本から遠ざかって久しいし。
極力目を使いたくないのでパソコンで絵を描く事もしなくなってしまったし。
更に、日常だったギターやピアノも離れてしまう訳で・・・
突然感環境が変わると「こちらの世界へようこそ」と痴呆世界のゲートが開かれるのはよく聞く話です。
それは、今までやっていた事を突然やらなくなるという環境を作り出してしまうのも同じ意味となる。
・・・と、判っていてやらないのは確信犯な訳で・・・ベルトコンベアーに乗っかってるよなぁ・・・とか思いつつ。
本題のブログ不投稿言い訳の件は・・・
「最近忙しくて」は忙しくないのバレバレだし。
「うっかり忘れて」等は最初からあり得ないし。
何か不投稿の大義は無いかなぁ・・・と 探す毎日。
(理由探しに頭を使うくらいなら記事ネタを探すと良いのに)って今思いました?
そうなんですよ、その結果こうして経緯を書いて無事に「行」を埋める事が出来たという結末です。
一瞬、この文章って、タイトルから辿り着いて私のブログを初めて読む人は腹立つだろうなぁ・・・?
とか思いましたが、ここでボツ!にすると又々フリダシに戻る訳なもので。
結局は何を書こうかな?って話でここまで引っ張ってしまったけど、これを繰り返していたので今度こそ1度投稿しなきゃ!なのです。
如月初投稿!???
]]>
メモはチョクチョク書いては居たのです。
なのに・・・というより、だからなのか・・・
結局まとまらないでいる内に(あれ?コレって書いた様な・・・)
反芻している間にゴタゴタのゲシュタルト崩壊!
この文章すら(確か以前記事にした様な・・・)
Macは相変わらず乍らもまだ頑張ってくれているのに自分が壊れてしまった?
中旬は連日の雪ハネで時間も体力もコテコテになってしまったり・・・
熱はそれ程でもなかったのだけれど夫婦で喉風邪状態が続いて・・・
雪ハネしては床に就き、起きては雪ハネを繰り返していた日々。
どんだけ寝られるんだ?と自分でも吃驚する程寝てました。
私は1月って何故か風邪をひいて寝込んだりする事が多い様な気がします。
2021年の1月も熱で「PCR検査」を受け、寝込んでたという記事を書いていました。
・・・てな具合だったし、何よりも「ネガティブ」を書きたくないという気分でメモを書いては消し。
だったらの「ありのままに」が、結局ぼやきへ帰結してしまうメモたち。
・・・と停滞理由はそこでしたね。
何度か記事投稿チャンスの機会はあったのですけどね。
昨年10月に始まった「アメリカン・アイドル」という番組の今シーズンが終わってしまったロス気分の時に。
ビートルズの8時間の大作映画「GET・BACK」をついに買ったマックス・ハイテンションの時に。
でも、それ以前に書き散らかしていたメモが道を塞いで渋滞してしまってたという感じでした。
一度この「頭の中の散歩道」も除雪車オーダーして道幅広げなくちゃ!
と、ここまで書いていたら、考えていただけの筈が窓の外で「ピーピー、ピーピー」って除雪中の音がしている・・・って、エスパーか?
現実の積雪、札幌は昨年の3分の1とのテレビ発表です。
中央区の事でしょうね・・・私のところでは半分というイメージですが。
自分の若い頃の記憶では「大雪は2月から」でしたが、1月のドカ雪が多くなってきましたねぇ。
さて、オノマトペだらけなものだから稚拙な印象が否めない1月締めの文章になりました。
とは言え、久しぶりに書いちまったんだから・・・・・投稿!
]]>除雪中も降っていなかったので1時間ちょっとで終わってしまいました。
・・・って事は昨日の続きに取り掛からねば・・・ですね。
6枚目:昔、私はてっきり犬だと思っていたのです。
ロップ・イヤー(垂れ耳ちゃん)呼ばれるれっきとしたウサギでした。
そういえば・・・映画の「ピーター・ラビット」に出てたよなぁ・・・とか思い出し乍ら描いてました。
この図柄は笑ってくれる人にしか出せませんけどねぇ。
本当は吹き出しにセリフめいた事を書こうとも思ったのですが、観た人の頭に浮かんだシチュエーションが正解という事で敢えて書きませんでした。
なので、「HAPPY NEW YEAR」の下側が微妙に空いてしまった感が・・・
7枚目:これは笑ってくれなくても別に構わないタイプのロップ・イヤー別バージョンです。
この微妙な色合いが印刷で出るだろうか?
と疑問でしたが、それこそ微妙に違ったけれど微妙にイイ感じで刷り上がりました。
8枚目:前にブログで書いてたのと同じ絵ですが・・・
説明はその時に記していたので省略です。
9枚目・一緒に並べて「こうなったんですよ」と見比べると、記事に書いていた「挫折」と「姑息」さが浮かび上がるんじゃないかと。
10枚目:左側は3、4枚目のウサギと同じです。
落ち着いたこの雰囲気!
「〜♪おとなだね
よく言われる言葉No.2
そうですかね?そんな事もないですけど
カッコわらい〜♪」
・・・・・・・あいみょん「インタビュー」の歌詞でした。
てな事で本年卯年の年賀状でした。
以前の記事で綴っていたように全体的に「不本意」な想いでは居りますが、それはそれでMacも私の目もよく頑張った!と、描き終えた事に安堵してもいます。
さて、次回はどんな記事でお会い出来ますでしょうか?
]]>(※ 各画像はクリックで拡大出来ます)
1枚目:背景の木目部分は全部、別のフォント加工ソフトで作って組み合わせた実験的な1枚です。
丸枠の部分はフォントの「◯」で、棒や柱状の木は「|」とか「ー」で作りました。
丸枠の中は透かしで作って背景は自由に差し替え可能にしてあります。
本当は(受け取る人の住む土地の観光名所などにしよう)と思っていたのですが・・・
写真を探すのに時間がかかった事と、いざ枠内に入れてみると何だか判らないという画像が多かったので殆どは3枚目の富士山の写真を使いました。
2枚目:同じウサギを使用して、12月にブログの中で綴っていた「月ブラシ」の実験使用の1枚です。
大昔からの・・・ニッチあるあるの構図です・・・進歩のカケラも無いですねぇ。
3枚目:基本背景は1枚目と同じですが、ウサギの向きで沈み方が変わる座布団、正月小物の位置や影など微妙な調整で逆に苦労してしまいました。
因みに、丸枠の中の風景・・・埼玉に住む知人には秩父三大氷柱ライトアップの幻想的な写真に差し替えてみました。
青く光る氷のインパクトが強くて、小さな空間でも色あいで全体の印象までガラッと変わる事を体験させられました。
よくこのブログに雲の写真やコメントを寄せてくれてすっかりお馴染みになったA君への背景には、昨年9月に彼から送られてきた大雪山系安足間岳の頂上付近で撮ったという巻雲風景写真を利用しました。
・・・って事はこのウサギの住んでいる家は山頂付近に建てられている?・・・パラドックスだ!
4枚目:ブログの中で「ウサギと言えば月で・・・」とか綴っていた伏線回収の図。
相手によって変えた文章のパースペクティブ処理と、短い文章に纏めるという事に随分頭を使った1枚でした。
刷り上がっての見た目は矢っ張りニッチあるあるの構図・・・
5枚目:遊ばせて貰いました。
この絵で一番手間がかかっているのは見た目「何という事もない・・・」印象の時計と鎖でした。
1枚目の絵の時と同じくフォント処理のソフトで質感を「金属」にして「◯」と「0」を組み合わせて作ったのです。
本年は・・・あっ、総括文には早かった・・・残りの半分がありました。
明日続きを・・・って・・・
札幌、天気予報では今日から明日にかけてドカ雪との事。
2回の除雪を覚悟している訳でして、時間とキーを打つ余力があったらという事になりますか。
]]>
準備を始めて序章の文をメモし、(昨年はどんな文章をかいていたんだっけ?)カブる事を危惧し寅年の覚書と比べて唖然としました。
カブるとかそんな事以前に「コピペした?」と疑われても仕方ない様な文章。
前年1年の出来事を憂いた文章と、昨年と同じ事を願っているという書き方。
ただ一箇所違ったのは「ロシアの侵略戦争が始まった」と加えた文章って・・・
ずっとネガティブな正月の挨拶となっているのでどんどん短い序文になってきている事も感じました。
2021年ホームページの記述に「『コロナ』と共に増殖する『棘』を持った人々に『癒し』が勝る世界になって欲しいと祈っております」と綴っていました。
ネットの「棘」はその頃よりは少しづつですが自重されてきた様に感じます。
法律で罰せられる様になったから・・・という理由が残念ですけど良い事には変わりません。
どうせ年賀状アップが目的のホームページ、文章はそれ程必要無いのかな・・・と居直ってもみました。
ところが、ところがですよ・・・(どこかで聞いたセリフ・・・)
さてさて驚いた事にたった1度のミスで今年度のホームページ更新成功。
どうしちゃったんでしょう?
って・・・あ、良い事なのか。
最近あまり良い事に出会さないのでつい狼狽えてしまったりして。
それでも、アクセスした時に画面が寅年の儘だったのには一瞬焦りました・・・が、「ページ再読み込み」の処理で無事卯年へ更新確認が出来ました。
これも何度もの失敗経験から得た余裕ですかね?
「失敗は人を育てる!」・・・って、育っちゃってからの失敗てのもなぁ・・・とか思いますが。
ミスはサムネイル表示のファイル名「B1」と「B_1」の書き違いだけで、直ぐに訂正してOKだったのです。
毎年焦りまくる作業なので、今回はダメ元のつもりで試しだったのですが逆に(ちょっと早くない?)の思いもあります。
ブログ用への加工は済んだので明日更新の予定です。
昔はあまり画像をいっぱい載せると重くなるという意識があったのですが、今はどうなんでしょうか?
一応、携帯で見られる事も予想して安全策、例年の様に2回に分けようかと考えています。
それが済むとやっと12月終わったぁの気分になれるのです。
明日、頑張らなくちゃ。
]]>そう思いながらストックしていたフォルダーを開いて(そうだった・・・)の想い。
結局、誰にも出す事の無かった1枚の画像。
(※ 画面クリックで拡大できます)
得意な筈だった点描。
毎年、必ず最低でも1枚は描く点描絵。
今回は、結果、描ききれなかったという事でした。
パソコンの不調を一番受ける描き方なんだと思います。
線を引いたり色を塗ったりするのはそれ程には影響は無かったのですが・・・
比べると点描の時は描いては待ち、描いては待ち・・・待ちの時間の方が長かった様な。
それが何日も続くとその日の気分で点の密度が変わったりするので後からの調整が大変だったりして。
そうそう、12月の記事で「月を手書きしたのに・・・」と悔しがっていた時の絵でした。
その時のアップ画像では耳の部分が白く抜けていましたが、こういう訳でした。
本来はウサギの毛並みを段々海から突き上げる飛沫に同化させる・・・・つもりだったんですけどね。
ウサギと言えば月で餅つき→月と言えば引力→引力と言えば潮の満ち引きなので海・・・って無理なこじつけでしたかねぇ。
結局、波の部分を削って違う画像にした別パターンの保険の絵は幾人かに出しましたが、その絵は後ほどアップするつもりです。
・・・てな具合で本当は一番大変な思いをしていた筈なのに、気分は未完だったものだから結局出さずに終わってしまいました。
では、他の絵は仕上がったのかと突っ込まれると・・・「その話はさて置いて」と素っ惚けるしか無い訳ですが。
他にも「キツネダンスをしているうさぎ」に挑戦したりもしてました。
何種類か元になるファアイターズ・チアガールのポーズ画像を参考に描いていたんですけど・・・ボツでした。
そういえば、年賀状廃止という人がどんどん増えてきた様子です。
今年の年賀状にも「来年から廃止」宣言が数枚ありました。
年賀状自体がボツになる日が近いのでしょうかねェ?
]]>
おう、そう言えば偶然昨年も同じ日に誕生日だった様な。
とか正月早々のボケはどうでも良いんですけど・・・
その昨年に「誕生日祝メールを間に合わせられなかった」と後日済まなそうにしていた姪っ子から「今年はちゃんと当日に言えた!!」とメールが昨日届きました。
「嬉しくないって言われてもおめでとうの押し売りです」の文章の後に「だっておめでとうって言えるのも嬉しいから」と続いていました。
確かに・・・年寄り相手の誕生祝いの言葉は考えてしまうのだと思います。
私も(どうなんだろう?)と判断がつかない女性相手に「あのぉ・・・思い出させて申し訳ないんですけど・・・」などと訝しげな前振りを書いてから出していた事が多かった気がします。
その気遣いを自分のためだよと相手に負担をかけない配慮に新年早々ホッコリしました。
前回の記事でそれこそ新年早々私を殺してしまった彼女とは真反対の表現ですが、根に同じ種類の心地よい暖かさを感じます。
どちらにしても私の返信は素直じゃないのですけどね。
「ここまで来たら、慣性の法則で急に止まれないし」と、惰性で年を重ねてるだけみたいな事で返信してしまうのです。
よく考えたら、じゃー「ここまで来ない」若い人も歳をとるのは・・・勢いなのか?という話でした。
ある年齢を境に「『歳をとる』って言うんだから『歳を取れば』イイのにね」とかのたもうていた人がいましたが。
アリスの話の様に「毎日がなんでもない日」と祝うのなら問題ないんですけどね。
・・・・・・・と・・・結局何の話をしてたんでしたっけ?
イヤホンから流れるみゆき嬢の「時刻表」の歌詞が気になり耳を傾けていたら・・・
・・・と、ボケを転嫁しようとしたら、(アラ?スピーカーで聴いてる訳じゃないのに)イヤホン付けたまま耳を傾けるって・・・受ける!
とか、書く程に墓穴を掘りそうなのでこの辺にして・・・
わっ、そんなモン掘るとかこの歳になるとリアルに響くし・・・
おっと、ブラックが好きじゃない人も居るので気をつけなくちゃ・・・
いやぁ、実は私も砂糖を何杯も入れて・・・・・・
アイタタ・・・「筒井康隆」状態になってきて止まらない。
色々説明が必要でしょうか??
毎度年賀状を出し終わると「燃え尽き症候群」と言うか、虚脱状態から脱出の為にもがく訳です。
もがき過ぎの気もする2023年幕開け、こんな状態ですが救急車は呼ばなくても大丈夫です。
]]>続く祝いの言葉は差し障りのある人がいたりして。
お互いの状況が判っている者同士のメールなどでしたら躊躇いなく言葉を選び分けられるんですが・・・
不特定多数を対象としたSNSでは発信後の向こうにいる人の立場を考慮しなければならず・・・
って、それは万単位で読者を持つ人が抱く配慮でしたかね?
・・・というフレーズは以前も書いた様な気がして・・・ただ、記事にした様な?しなかった様な??
さてさて、ご無沙汰していました。
12月31日までコメントをひねり出しての印刷作業・・・遂に年賀状終了!
本当に昨年は早い時点からドキドキの連続でした。
絵を描くにも字を書くにもMacの反応があまりにも時間がかかり過ぎて・・・
結局、挫折というか妥協というのか、前回の投稿あたりの時期で絵を描く事には早めに見切りをつけました。
でも、取り敢えずそれは機械の問題として問題は頭の問題の問題。
どんなもんだい!って・・・・イヤイヤ真面目にコメントが全く浮かばなかったのです。
正月早々忌み嫌う言葉も使いたくない
でも、現実コロナ禍だ戦禍だという中で幸せ言葉も嘘くさい。
一応締め切り期限は自らに課しての推敲。
遅くても今年中(2022年中)には終わらせるぞ!って。
「遅くても」が、律儀に実行されて本当に遅かったからあおりを食らうのは妻でした。
渡されてから食事の用意の合間などにせっせと手書きで宛名書き。
毎年の恒例作業風景ですけどね。
ともあれ印刷完了した事はMacに感謝!
多分息も絶え絶え状態で頑張ってくれたのだと想います。
ここ数年、暮れにはMacの危機を綴っていて、現在は外付けの心臓や肺で息をしているという感じなのですが。
今は「お疲れ様でした」と感謝の気持ちで一杯なのです。
大晦日から1日朝の神社参りまでの出来事は毎年同じ光景なのですが・・・
昨年の1日目の記事は「A」さん(A君ではなく)の事を描いていましたが今年もですね。
1日の朝目を覚ますと必ず一人目は「A」さんからの「アケオメ」メールが届いている。
・・・筈が、今年は来てない。
昼近くなりとうとうこちらから「起きてますかぁー?アケオメですよー!」と催促めいたメールを出してみました。
すぐに受けたReメールが大傑作だったのです。
「うわぁ✨😍✨生きてた😚」その後も絵文字を沢山使っての事情説明。
あるある話で、機種変更をしたら私のメアドが消えてしまったのだそうです。
ついでに私のブログも見られなくなった。
加えて毎年誕生祝いメールを送っていた私が何故か昨年は送っていなかった。
という事から・・・
「・・・もしや・・もう・・い・・な・・いなんて・・・」と思った様子。
続けてブログのURLを「再度教えて☺️」と結んでありました。
「わっ、正月早々殺してるし・・・」の返信と併せて誕生メールを送らなかった詫び文とブログのURLを記しましたが。
遠慮のない切り口、大受けです。
連絡途絶えたら誰だって想いますもんねぇ。
途絶えたと言えば、昨年の暮れに「良いお年を!」で結ぶ筈の記事を書きかけましたが、フリーズ続きでアップ出来ずに挨拶も出来ませんでした。
さて今年の年賀状に何度か使用したフレーズ「ウサギの印象の様に柔和な年となる事を願って」
本年もよろしくお願いいたします。
]]>妻が自分のテリトリー分を番号で選び出す為という事も兼ねています。
マックの不調の事、目の不調の事があって全然達成感も無く・・・
それでも、一応でも描き終わった事にはホッとしています。
この後も、兎に角全部の印刷が完了するまで油断は出来ませんが、何とか持ちこたえてくれる様にと願っているところです。
あ・・・「兎に角」って・・・「ウサギにツノ」って書くんですよねぇ。
「兎」に「角」は(「あり得ない」という意味?)と、気になって調べましたがさほど関係は無さそうでした。
兎と言えば、今回とても悔しい思いをした事がありまして・・・
私の頭の中でお気に入りのモチーフとして定着している画像に「月」があります。
それは今回の干支と絶好の相性な訳です。
ウサギに月!・・・は、発想貧困と言われ様とも決定事項です。
さすがにリアルなウサギの絵で餅をついて貰う訳にはいきませんでしたが・・・
年賀状を描き出した頃から「月画像ありき」と、点描でコツコツ描いていたのです。
大体の絵が仕上がったかな?というところに、こうして現在使用している「Affinity」というアプリの会社から「ブラシが無料」というメールがありました。
早速ダウンロードして次々試し書きしてみましたが・・・殆どは(必要ないなー)と思っていました。
ら、在ったんですネ、その中に「月」というブラシが・・・
パソコンで絵を描かない人にとって「ブラシ」の定義は誤解されそうですが、端的に言うとスタンプみたいなモノも含むのです。
つまりはブラシを選んでワン・クリックだけで精巧な「月」が完了です。
これですね。
色も大きさも変更可能です。
う・・・・・ん、地道な努力があっさりと否定された感。
アポロ17号が月面着陸してから50年・・・
ずっと静かだった月の周囲がこのところ何かと話題になっている様子です。
来年の4月には日本の月着陸船が到着予定と報じられていました。
さてさて、ところで今、年賀状の挨拶文に頭を悩ましているところです。
何を書いても嘘くさく感じてしまう世情に厭世的になってしまう気持ち。
だからこそ希望が必要ですよねと書き伝えたい気持ち。
そんなところに選び出された今年を表す漢字一文字決定の報道。
今年の一文字は「戦」という事で予想通りでした。
まさに今年を表した一文字。
来年今頃は、穏やかに振り返られる事を象徴する文字が選ばれる年であって欲しいと・・・
あら?丁度1年後の話って・・・鬼の笑い死に決定ですか。
]]>
妻は2、3日前に「(見たかな・・・?)程度だったけど、初雪体験したよ」と言っていました。
(ふふふ、 勝ったな・・・)の響きに悔しかったりするのもおかしな事ですが。
本日、私にとっての今年の初雪・・・そのまま初積雪の体験。
その上に初吹雪も纏めて一緒にやってきた。
夕方になって、さすがにアスファルトには見当たらないけど、隣のアパートや家の屋根には垂れ下がって居残ってる様子が見えています。
札幌の天気、テレビの週間予報はずっと雪マーク。
冬ですね。
それにしても・・・と思ってしまう狂った世界。
ウクライナはエネルギー・インフラの半分くらいがロシアによる攻撃で破壊されて人々は暖房がとれずにいると報道されています。
衛星から撮した地球の夜の写真は、電気の光で輝いている他の国の間でウクライナの部分にはあまり光が見当たらない。
コロナの脅威は止むを得ないと受け入れられても人間の愚かさは受け入れられない。
いつになったら人間は過去から学ぶんだろう・・・と考えてしまう毎日です。
サバイバーズ・ギルト(生存者罪悪感)に似た感情が日々を襲ったりして・・・病みますね。
でも、めげているだけでは何も始まらないという事も過去から学ぶべき事でしたか。
明日、カレンダーの最後の1枚がめくられます。
どんな風景だろうかな?
]]>
「金曜日の夕方、空を見上げたらまた面白い雲発見❗️直角的なフォルムでした。どんな条件で発生したのでしょう???」
という文章で写真が添付されていました。
(※ 各画像はクリックすると拡大できます)
正直、条件などは判りませんが、推測+ネット情報から鑑みるに・・・
飛行機雲の名残という事も考えられなくはないのですが、それは無いと言う前提で考えました。
交差した部分の色が濃くなっているので風の向きが違う層に現れた毛状雲が縦横重なって見えたんでしょうかね?
透明度50%の水彩絵の具などを縦に一直線になぞり、今度は交わる様に垂直に横線を描くと重なった部分が濃くなる理屈ですね。
あくまでも勝手な推論ですが・・・ご承知おきを!
「毛状雲」をネット検索すると似た様な画像が見当たったりすると思います。
ただ・・・文字の様に見えて(なにか)の意図を感じたりも・・・ですかねぇ。
雲の上・・・つまり宇宙側から見ると「F 」の字に見えそう。
「F」の頭文字?
さてさて、色々発想が飛び回ります。
「Friend」だったりすると「地球人、ト・モ・ダ・チ・・・」
(ETか!)というメーセージになったり。
「F○○○!」の”Four -letter word”を思い浮かべると
「地球人、いがみ合ったり、戦争したり、なにやってんだよ!」
メッセージ性が更に強くなったりして。
でも、この雲、ロシアや紛争国からは見えないだろうし・・・
という事は見た人へ宛てたメッセージ?
さ〜て、天がカメラを構えたA君に送りたかった「F」の頭文字はどんなメッセージ?
私が(・・・かな?)と記すのはロクでもない事ばかりみたいになりそうなので敢えて綴らない方が無難かも。
(A君は私の物言いに慣れてるとは思うんですけどね。
あ・・・このブログを読んで下さっている方も私の毒舌には慣れっこでしたか・・・)
と、質問と全く関係の無い別の意味合いで遊ばせて貰いました。
兎に角そのメールが、またもや世を離れていた最中に記事更新のきっかけを与えてくれました。
そう言えば、前回の投稿の後に撮っていた写真がまた機会を逸して燻っているので(どさくさに紛れてアップしてしまおう!)と。
10月の終わり頃に撮ったのに「賞観期限切れ」にしてしまった写真・・・
二重の虹でしたが時が経つにつれて上へ伸びていました。
次はこのブログに何度も登場しているレンズ雲です。
次のは別に珍しい雲では無いんですけど、建物の間などトリミングされた空間だと幻想的に感じたりした一枚。
以前ほどではないにしても相変わらず空を眺めて写したりしていました。
このところは少し本気を出してウサギの絵に取り組み始めましたが、Macが相変わらずで、タブレットが使えなくなったり・・・と、ハラハラの毎日。
ブログも気になっていたのですが、漢字変換に時間がかかったり、ファイルの開け閉め保存にも時間が取られて、さて(絵を取るか、記事の更新を取るか・・・)の毎日でもありました。
結果、考えると本日は・・・11月、ちょうど半分なんですねぇ。
更新のきっかけをくれたA君に感謝!という今回の記事でした。
]]>空ひとつ見せない雲だったり
シャッターを押す気になれない日々が続いたりして。
う・・・ん、雲の写真しか「お題」の持ち合わせ無いのか!?
つらつら考えるに・・・その通りです・か。
それに加えて Macのご機嫌が斜めなのですっかりのご無沙汰でした。
朝、7時くらいに起動スイッチを押してから暫くあの手この手でなだめすかしたりして。
昼過ぎになってやっと使用可能なんて事がざらだし・・・
その上、一文字打ちこんでは数秒待って・・・も繰り返し。
(耐えているのはどっちだ?)と、この翁vs老Mac、それぞれの言い分がありそうですが・・・
それにしても10月始めての投稿って・・・
(倒れてるんじゃないだろか?)なんて心配をかけそうです。
本物の「生きてますよ〜」の無事たよりになってしまった気がします。
この文章が投稿出来たという事をもってして、取り敢えずMacも私も何とか無事!の証となりますか。
おっと、配偶者の安否を記していませんでした。
昨日、金婚記念の夕餉の食卓には「ケンタッキー・フライドチキン」
思えば、友人主体の結婚式に感動したのかマイクを渡された花嫁の挨拶は「別れる時も同じメンバーで行いたいと思います」でした。
実行出来ずに50年経ってしまった・・・
ともあれ、我が家では特に特別の日気分も無いけれど、普段より少しリッチ気分のフライドチキンを頬張り乍ら「あの時、友達は『すぐ別れる』って太鼓判押してたのにねぇ・・・」と思い返して呟いていたのが「元気で無事」の証です。
話を戻して、写真ですね・・・
アップしないでひと月になろうとしています。
無論、幾度かはシャッターチャンスはありまして、その写真を添えてご無沙汰話しのお茶を濁してしまおうかな?という魂胆です。
(※ 各画像クリックで拡大できます)
縦に並べてみると、時間経過(6分程)に連れて雨雲が移動しているのが判り易くなりました。
次の写真は・・・
レンズ雲になり損なった(残念感)はありますが、これはこれで綺麗でした。
これは自分の方が移動し乍ら撮った空です。
こちらは何て事ないんだけど、折角撮ったのだから・・・というだけの1枚です。
本日は冒頭の言葉の通り、雲ひとつ無い青空だったりしています。
]]>
コーナーなどと銘打たなくても雲画像を並べた記事しか無かったのですけどね。
このところ「あいみょん」の『インタビュー』という曲にどハマりして、私のイヤホーンがすっかりリピーターになってました。
かなりの衝撃を受けたデビューアルバムのなかの曲「生きていたんだよな」と同じ感覚になって私の感性が共鳴しています。
感情を押し殺した風につぶやくフラット気味の語り調子や、反骨の小気味良い歌詞が耳の中に心地よく響き渡ります。
似てるという意味では「ペルソナの記憶」の方が、かな?とも思いますが。
てな事で、9月は「瞳の中へ落ちるよレコード」が、「頭の中へ落ちまくってるよあいみょん」状態で外を歩いていました。
閑話休題。
さてさて、前々回から続きの雲画像です。
(※ 各画像はクリックで拡大できます)
9月24日(土曜日)
(おー!竜巻か?)と見紛うばかりの雲。
縦にしてクローズアップ。
してはみたものの、上の写真の方が構図的には迫力がある様な・・・
同じ日に、いつもとは違う公園で違う方向の空。
何と表現したら良いのか・・・
近い言葉は「海の底から見上げた大きな船の底」・・・?
暫く眺めて微妙な変化をパシャリ!
9月26日(月)の早朝。
同日、同じ時間の反対側の空。
9月最終日、本日は雲ひとつない天気!
なのに何となく霞んで・・・
どっちにしてもカメラを向ける気にはなれない空でした。
]]>
日付は8月30日。
忘れていた筈の下書きを読み返すと、もう9月も終わろうかという今この時にも全く変わっていない景色の文章を発見。
その文です。
この夏・・・
随分暑い日が続いたという印象でした。
という事は窓を全開している期間も長かったとの印象です。
という事はアパートの下の住人の部屋や、隣の家の窓も当然開いていた訳で・・・
騒音にしかならない毎日のギターは音量をセーブし乍ら弾くという事になっていました。
当然、歌なんか歌えない・・・
てな事は、毎年の夏にあるにはありました。
でも、今年は異常にその期間が長かったものだからなのか?
完全に喋りが下手になっていて、口も回らなくなっていたのです。
会話らしきものは妻とだけだし、殆どの時間は一人違う部屋で好き勝手な事をしていた訳だし。
必然的に、口は食べる時だけの為の存在という状態となっていた訳です。
「R・Cサクセション」の『トランジスタ・ラジオ』の一節が頭に浮かびます。
〜♪「授業中アクビしてたら
口がでっかくなっちまった
いねむりばかりしてたら
もう 目が小さく なっちまった」〜♪
進化論の証明を歌ってる・・・のでも無いのでしょうが・・・
声を発しないということは発声器官の退化を意味する事となる訳です。
長く続いているという事を除けば、毎夏、同じ様な事を書いている訳ですが。
状況がマズイものはマズイという事で、試しに新聞のコラムを音読してみました。
自分でも吃驚する程しどろもどろ・・・
昔もよく試していた事がありましたが、その時には、「目」は「口」にしている言葉の数行先を追っていた様な気がします。
ところが、今は「口」にしなければならない言葉に「目」の方は間に合わせるのにいっぱいいっぱい。
うんにゃ・・・間に合ってないかも・・・
間に合わないのは「目」なのか?「口」の方か?
その上で、口が回ってないわ、咬みまくるわ。
若しかして真犯人は「脳」の可能性も・・・と、疑ってみたりもするのです。
(アレ?3日も喋ってない・・・声帯ってどうやって動かすんだっけ?)などと、頭の中の資料を探し乍ら焦りまくって信号を送っている「脳」の姿が浮かび上がります。
目の方にしても「は」なのか「ば」なのか「ぱ」なのかは「脳」の推測任せになっている状態だったりしているのです。
・・・と・・・下書きの文章はここで終わっていました。
どう続けるつもりだったのか・・・校正するつもりだったのか・・・
或いは(過去に同じ事を書いていないか?)確かめる筈だったのか・・・
記憶は不確かなんですけど。
この文を書いていた時よりは幾分朝夕の気温は下がった気はするものの、相変わらず周囲の家の窓は夕方まで開いてたりしています。
ひと月前の記事ネタがそのまま新規投稿に活かせるとは・・・
箱の中に、賞味期限も消費期限も本来ならとっくに過ぎている筈の包みを発見、食べてみたら(まだいける!)のお得感。
興味期限まで切れない内に投稿!
]]>
曇り空だとそれはそれで絵になる雲も多いのだけど。
ずっと雨・・・灰色の空・・・晴天と同じくらいつまらない空。
・・・と思っていたところに、このブログではすっかりお馴染みのA君からまたもや写真が届きました。
折角なのでアップさせて貰います。
お裾分けの提供画像4枚!
(※ 各画像はクリックで拡大できます)
とはいっても、残念な事にこのブログでは制約があるので拡大してもそんなに綺麗になりませんが・・・)
雄大で・・・とか、敢えて感想など必要無いですね。
そして、「沼」の風景です。
「おまけです」のタイトルで新たなメールに添付写真が2枚。
「空沼岳」登山途中にある「万計沼」の風景だそうです。
鏡面の美しさ!静寂さが伝わってきます。
拡大すると木々の一本一本が見事に美しいのに、このブログでは伝わらないのがも何と悩ましい限りです。
本当はもっと早くに送って貰っていたのですが・・・このところ、Macのご機嫌が斜めなのです。
このところ(使用可能状態に30分近くかかるって、それを待つって、どんだけ自分は辛抱強いんだ?)と自画自賛する状況が続いていたのです。
それがMacの気に障ってしまったんだろうか?
「ワタクシだって、母屋を乗っ取って起動させるハードディスクを沢山繋がれて・・・カンフル注射で何とか頑張って起動している状況なのですが?」が、Macの言い分でしょうねぇ。
最近は私自身も目がグングンと悪くなって(ダメになるのは自分の目が先かMacが先か?)などと感じてました。
それでも(Macには悪いけど負ける気がしない)とも思ってはいたので(ふふふ、勝ったな)の気分!・・・な訳はありませんか。
この10月で10年・・・「IT機器の10年はオノレの100年じゃー!」とか言われそう・・・
このブログの中で、何度も危機があって、その都度その作業経過を実況放送の様に綴っていましたっけ。
最近、フリーズする事が多くなって、すると再起動に30分くらいかかる訳で・・・
そのフリーズが日に3度・・・4度・・・と頻繁になってきまして。
それでも、(何だよ!)とは思えず(そっか・・・)と納得しながら向き合っていたりします。
本当に頑張ってくれてる・・・・と、愛おしく感じていますが、このブログの行く末も危うくなってきたという事の様です。
それ以前に、「記事ネタ欠如で自滅」の可能性の方があり得る様な気もしますが・・・
今回は(「も」かな?)A君の救済的添付写真掲載で何とか更新する事が出来ました。
(一日遅れで申し訳ない事をした、と後ろめたく思いつつ・・・ですが)
さて、最後にニッチ発 〜平凡〜 な画像・・・本日の朝の雲はこんな感じでした。
]]>
(※ 各画像クリックで拡大できます)
昨日(15日)・・・空に向かってカメラを構えた人は多かったと思われます。
私も(層積雲なのかな?)なんて思い乍ら見上げていたのですが、「波状高積雲」という事でした。
いつもと違う公園でパシャリ!
同じ場所で「パノラマモード」で撮ってみました。
角度を変えて・・・
更に移動して・・・
次からの写真はいつもの公園・・・大急ぎで移動して見上げるとまだ消えていなかったので連写。
完全に逆光状態ですが、透き通って見えるので宝石っぽい印象でした。
この公園でも「パノラマモード」で。
肉眼では直視できない太陽に向かっての激写(古!)
反対側の空にはふっくらとして・・・それはそれで味わい深く可愛い雲たち。
角度によって色々な表情を見せてくれました。
今朝のテレビでも投稿写真が沢山紹介されていました。
「足跡」とか「ビックリマーク」など思い思いの名を付けて投稿していた様です。
写真の名前は思いつかねど、何とも楽しめた1日ではありました。
]]>(※ 各画像はクリックで拡大できます)
まずは9月1日。
(画面の遠くの方では雨が降ってるんだろうなぁ・・・)の曇り空。
2日 前日とは大違いの晴天。
定期検査の病院帰り・・・歩いて帰る事にして途中の風景をパシャリ!
時計と曇って「ダリ」を連想させるので気分は一気にシュール。
これも帰る途中の景色で、まずはiPhoneの写真その侭の画像を掲載。
iPhoneは広角レンズ使用のため魚眼の様になってしまうという事です。
(古い私のiPhoneだと・・・という事かも知れませんが・・・)
ブログへの画像アップの時にはソフトでサイズを変えたりするので序でに傾きを補正してみました。
加工前の上の写真の方が効果的で、加工した観た侭の「リアル」の再現は逆に面白くも何ともない風景になってしまった気がします。
3日(不気味な・・・あくまでも不気味な・・・雲っ!)
4日(のどかな・・・あくまでものどかな・・・雲っ!)
と、のんびり気分でいたところにA君から写真が届き、前回のブログに綴った様に自分の撮った写真の掲載は気後れしていた訳です。
・・・が、ショックを受けても3日も続かないと言うか、3日で忘れると言うか・・・
7日には再び撮り始めてました。
8日・・・何となく絵になると思って。
同時間、同場所でそのまま反対側の空を撮ると・・・
小山の反対側に回って撮ってみました。
その日、テレビで知ったのですが「尾流雲」と言うのだそうです。
11日(あら?空にアゲハ蝶が・・・)
全体が収まる様にと歩いてみました。
丁度、逆光になる位置の雲だったので、太陽が朧月の様に、レンズ・フレアーの点が星みたいで・・・
肉眼で見るより幻想的に写っていた様な気がします。
どう見ても「アゲハ蝶」ですよねェ・・・
本日(13日)は、写真としては珍しくない雲ですが、この時期には珍しい夏並みの雲でした。
・・・と、9月1日から今日までの写真の羅列といったところです。
]]>